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【第3話】希望の合格、絶望の入学。

どうも。川瀬です。

久しぶりにお父さんに会えると思ったらいきなりエヴァンゲリオンに乗れと言われて、「嫌だ。」と言ったら「逃げるな。」と言われ、「乗る。」と言ったら「自分で乗ると言ったんだから死んでも自己責任。」と言われ、シンジくんは可哀そうだなと思いながら自粛して映画をあさっています。

さて前回は浪人編を書きました。

今回からついに大学編に突入です。スタート!

2015年3月8日、筑波大学の合格発表だ。
予備校の自習室でソワソワしながら後期試験で受ける予定の大学の過去問を解く。さすがに集中できない。

合格発表の15分前、何気なくサイトを開いた。
合格者の番号が掲示されている!!
筑波大学が発表予定時間より早く発表することは有名だったが本当だった。
ドキドキしながら合格者一覧を開く…画面をスクロールしていく。番号が、、、
ある、、、自分の番号があった!!!!
その瞬間涙が溢れ出てきた。

陸上ができる。その日から毎日走った。
走り始めは苦しかった。肺が膨らまない。足に酸素が届いていない。体がめちゃくちゃ力む。
1年半ぶりのジョギングはポイント練習のようにキツかった。それでもそのキツさすら嬉しくて楽しかった。暗く落ち込んだ生活をしていた自分の毎日が明るい華やかな世界に変わった。

3週間たった。だんだんジョグも快調になってきた。今日はちょっとペースを上げてみる。
5kmの折り返しコース。10kmの予定だ。

4'00/kmで走り始めた。2kmくらいでかなりキツい。3kmでもう足がもつれそうである。息が上がって肩に力が入ってるのが分かった。
もうこれはジョグではなく、レースだ。1人だけど絶対にこのペースからは落とせない。
必死にもがく。呼吸もゼーゼー言い始めた。
4kmを過ぎる。足が動かなくなってきた。
懸命に腕を振る。が、進まない。
最後の方は時計を見る余裕なんてなかった。
折り返し地点の5km、ここで限界だった。

帰り道は現実が受け入れられず歩いて帰った。昔なら速めのジョグとしてなんなくやっていたペースが、全力で5km走っても守れないペースになっていた。

1年半のブランクはここまで体に重くのしかかっていた。春休み中に弘山さんが長距離コーチに就任するニュースを見た。筑波大学箱根駅伝復活プロジェクトの存在をそこで知った。
3000mSCで全カレ入賞を目標に筑波大を目指したが、もしかしたら箱根駅伝に出られるのかも…なんて夢ばかりが先行する。

しかし現実は甘くない。あれから1週間が経ちつくばに来た。相変わらず体力は戻らない。
自分の陸上人生に対して途方に暮れた。そんな筑波大学への入学だった。

ジョグがまともにできない自分は1年間下積みをしようと同好会に入部した。大学は6年間ある。関東学連の試合は4回しか出れない。1年くらいブランクを取り戻すのにはちょうど良いだろうと思った。

インカレに箱根駅伝、強すぎる光を僕は直視できなかったのだ。

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今回は大学入学する時に関して書きました。
今思い出すと、冷静にもっと物事を考えろよと言いたくなります。
ただ今思うのは
・浪人で培ったキツいことも楽しい方に考えることができなかった
→精神的エネルギーの限界だった
・日本一を目指すと言っている陸上部がカッコ良すぎて引目を感じてしまった
・走り始めて1ヶ月、どうなるか分からなかった

という感じでなんとも言えない判断だったなと思います。

というわけで同好会に入った僕ですが2ヶ月半で辞めます笑

今回は物語風の書き方になりました。
思い出として書き留めておきたかった感じです。

文章の書き方の方向性が定まりません笑
次回は同好会編。お楽しみに!!

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