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小さい頃に「致命傷にならない転び方」をたくさん経験させてあげてほしい

「この子は将来、苦労するだろうな・・・」
と感じてしまう典型例は、お母さんが先回りして、子どもがつまづきそうな石を全部取り払うような教育をしている家庭。


「転ばぬ先の杖」はほどほどに

隣でプリントを解いていると、間違えそうになった瞬間にヒントを出すお母さんがたまにいます。子どもが間違えることで、我が子の・・・さらには、お母さん自身の子育ての評価が下がることを恐れているように見えます。

そういう評価をされたことがあるのかもしれません。できたことできないこと、知っていること知らないことで評価される社会だから仕方ない面もあると思います。

でも、あまりにフォローが過剰だと、
「あー、この子は苦労するかもしれない・・・」
って思ってしまうんです。

おそらく、ふだんもそうしているんだろうな、ということは、間違えることへの耐性がないかもしれない。自ら考える力が弱いかもしれないと逆に評価が下がってしまう場合があります。

知識量より大切な「学ぶ力」

子どもが「間違うこと」「知らないこと」があるのは、あたり前です。
実は、初めての体験やテストのときに見ているのは、間違いやすい問題、解法を習ったことがない問題で、どう考えてどう行動するのか、ということです。

どのくらいの時間考え続けられる子なのか? いくつくらい解法のアイディアを出す子なのか。それでもわからないとき、どうするのか? 粘るのか、投げ出すのか?
といったことを見ています。

知っている問題を解けること、知識があること以上に、知らない問題で考え続けられる子の方が、新しいことを学んでいく「学ぶ力」のある子です。過去の成果ではなく、未来への「伸び代」を大切にしています。

親が手を差し伸べるということは、考える余地を奪っているとも言えます。子どもの能力が発揮され磨かれる場面で、ことごく考える機会を奪っているのではないか、と思ってしまいます。

レジリエンスがある子の方が伸びる

間違えたって、マイナスの影響がない小さなつまづきで、たくさん転んでおくべきだと考えています。立ち上がれるところでなら、転べば転ぶほどプラスの影響しかありません。

大切なのは、転んだときにどうふるまうか、どう自分で起き上がるかです。転んで、泣いて、誰かに起こしてもらったり、「大丈夫?」と優しい声をかけてもらえるのを待つだけの子にはしたくないですよね。

学習の中で、転んでも、自分で起き上がったという経験をたくさん積ませてあげたいと思っています。もちろん、大怪我・・・学習で言うと、自信を喪失し、算数を嫌いになってしまうような苦しみ方をさせてはいけません。

大コケしても起き上がる力(レジリエンス)がある子は、大コケしてもよいでしょう。

1人ひとりに合わせて、加減を見てコケたときのフォローするのが大人の役目で、コケる前にケアするのが役目にしちゃいけません。

転んで起き上がるときに鍛えられるレジリエンスが高い子の方が、打たれ強くなり、多少のことではへこたれなくなります。だから、適切に転ぶ経験は、
「100点をたくさん取った」「つまづかなかった」
という経験以上に、その子の成長につながり、結果学力の伸び方にもちがいが生まれます。

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