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縄文時代とセンスオブワンダー

レイチェル・カーソンのセンスオブワンダーを読みながら
縄文時代は感じることを通して貢献していた時代だったのかもしれないなって思った

知ることより 感じることの方が 何倍も大切だとレイチェルはいう

自然を視覚だけでなく 嗅覚で記憶させる

自然は姿をみせたり消えたりして存在を伝える

この感覚が もしかしたら 土器や土偶に表されたのかもしれない

土器や土偶は 川の流域で作られた

川の流域で作る理由は 水辺や 柔らかい土があるからだろうか

だいたい 縄文の集落は川の流域に作られた

生活とアートが一体になっている生活

アートという意識はなかっただろう

アボリジニアートも 彼らは伝承や地図として描いていたし

それは 生きるためにしていた作業

私はイラストレーターという仕事柄 表現をする

芸術家ではないから あるテーマを絵にして伝える

ただの説明では 人の心に伝わらないから
全ての感覚を使いイメージする

人は わかりやすいものは見えないようになっているように感じる

もちろん わかりやすいものなど何もない

土器の模様 土偶の形
それらが生み出されるときには
センスオブワンダーな状況になっていたのだろうな


それが 自然を知るために役に立ち
自然を守るための貢献になっていたのだと思う


今 その感覚が一番大切だと思われる

だけど 子供からお年寄りまで
その時間を生活の中に生み出すには
ちょっと一手間いる

一番普通にあるものをゆっくり感じたり
話したりする時間

朝 鳥が元気に鳴いていることが嬉しくても
見に行くことはなかなかしない

でも 感じるという生活を選ぶことはできる

縄文時代の豊かさは センスオブワンダーな時間だったんだろうな

すると どんどん自然が姿をあらわし

それが 神になっていったのかもしれないな

縄文時代から センスオブワンダーを学んでいきたいと思いました


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