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不思議と石川へ度々①白山編:気づけば関係人口に

今年の元旦に能登半島で大地震が発生。奥能登はそもそも地震が多いエリアで、2023年も2022年も大きな地震が起きていた。
今回どこかで話題になっていた 特務機関NERV防災アプリ を私も利用していて、自分の住む市と去年滞在した珠洲市がデフォルト設定なので、以前からかなりの頻度で地震が起きていることはわかっていた。

ただ今回の地震は笑い話にはならなかった。
亡くなられた方へご冥福お祈りします。被災された方へお見舞い申し上げます。

そしてこの元旦の日から、だいぶ意識が石川へ、能登へ行っていた。床についてに目を閉じると珠洲や輪島のことが浮かんでくる。

改めて、私はフラフラとその時の気分で出かけること、その土地に流れる空気を感じとる、嗅ぎ取ることが好きなのです。
仏教でも「何一つとして他のモノに依存せずに存在している者はない」というような教えがある。
ある人、がその人たらしめるのには生まれ育った土地、環境が多いに影響しているな、ということを旅を通して考えるのです。本当はそこに時代が大きく絡むわけだけど。

思い返せば、2017年の金沢観光以来、私は8回ほど石川県を訪れていた。数年前には移住を考えていた。
そして今回地震があって色んな人の顔が浮かんで、自分も気づけば関係人口になっていたな、と自覚したのです。

関係人口とは震災を機に生まれた会社、雨風太陽(旧ポケマル)の高橋さんが名付け親なのだという。
https://ame-kaze-taiyo.jp/impact/

関係人口についての論説
https://www.agrinews.co.jp/opinion/index/207698

ともかく、まずは遅れてやってきた旅日記、現地リポート、ささやかなご当地PRを含めて、私なりに訪れきた旅先を愛でたいと思います。自分なりの関係人口やめません宣言でもあります。

              ◇

白山の登山口でもある白峰にある総湯。

初めての金沢旅行を別とすれば、私の石川行きは「白山麓僻村塾」という山奥で行われる文学の集いがキッカケだった。初めて行ったのが2018年夏。
これは海外に住んでいた時から知っていて、日本に帰ったら行こうと決めていたのだ。なぜなら私の敬愛する作家、池澤夏樹さんが館長だから。そして月一開催のゲストは池澤さん以外にも粒揃いの作家だから。会員になった。

開催される場所、拠点がまぁ山奥にある素敵なところで。金沢からバスで1.5時間かけて白峰に行き、そこからさらに車で10分。
アクセスをどうするかなんて考えてないモノだから、帰りはバスがないけどどうしますか? と言われ、タクシーかなんかで、と答えていた私は都会人であった。

僻村塾の拠点。この左手に白山連峰が拝める。

石川はおろか、行く先々で私は人の車に乗りまくっている。車だけでなく、若い頃は人の情けで生き延びてきた(自慢にならないか)。
僻村塾へ行った日、既にコロナ禍だった気もするけど、結局スタッフの男性の車に乗せてもらった。
顔も名前も覚えていないのだけど、主張の薄そうな、柔らかそうな印象の方。醤油系いい人。ここではひとまず「ヌーさん」と呼ぼう。

行きの車でも同乗者は口々に「白山が見える、あそこが白山でね」という。東京や関東圏の人は知らない人が多いけど、白山は富士山・立山と並ぶ日本の三大霊峰、山岳信仰のトップに君臨する山。
「白山神社」の白山がこの白山だったなんて、恥ずかしながらこの頃まで知らなかった。

ヌーさんは白山麓にある会社で働いているらしく、牛首紬(うしくびつむぎ)という伝統品に従事しているという。聞いたこともなかったけど、国指定の伝統工芸品、玉繭から作った織物だそう。
ヌーさんからはそんな白山ならではの伝統工芸品の仕事をしていることに誇りを持っているのが伺える。これがなんとも新鮮で嬉しかった。東京ではなかなか出会えない。

そしてヌーさん、「せっかくだからちょっと神社に寄りませんか?」とこれまた思わぬ提案をしてくれる。西日が差し込む時間帯。嬉しいけど神社に行くのは少し遅くないかしら。

この参道の神々しいこと。2020年9月のある日。

これが白山比咩(ひめ)神社との出会いだった。ここが凄かった。おみくじは手厳しかった。
時間帯で考えても人気は少ないのかと思ったら、地元の人と思しき家族連れも結構いる。そして皆さんの参拝の仕方が、やっぱり少し違う。本気度が高いのである。白山神社の総本山、お見それしました。ヌーさんに感謝。
しらやまさん、と呼ばれているので、白山は"はくさん"なのか”しらやま”なのか混乱したけど、山の白山ははくさんなのだそう。

思えばこの時も後も、コロナ禍であり、よそ者を自分の車に乗せるのを躊躇っても良いはずだけど、だれ一人としてそんなそぶりを感じたことがなかった。

無事に帰宅した私は、ヌーさん、ではなく比咩神社への渇望がはじまった。
コロナのおかげでリモートワーク、通信大学もリモート授業になり、私の神経崩壊が進んでいった頃でもある。
そして、気づけばその数週間後にまた行ってしまったのである。今度は富山に友人を訪ねる、という名目をつけて白山に泊まったのである。

つづく。


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