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ヘンリック・イプセンと『人形の家』

今日は「近代演劇の父」と称されるヘンリック・イプセン (1828~1906) と、彼の最も有名な作品『人形の家』 (1879) についてまとめます。

ヘンリック・イプセンは何がすごいのか

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ヘンリック・イプセン (Henrik Ibsen) (1828~1906) は19世紀に活躍したノルウェーの劇作家・ディレクター・詩人です。当時のノルウェーではノルウェー語でなくデンマーク語が使われていたので、今日は何も考えずに英語や日本語で読んでいる彼の戯曲も、元はデンマーク語で書かれています。

彼は「近代演劇の父」と呼ばれ、彼の最も有名な作品『人形の家 (A Doll's House)』(1879) は「近代演劇の始まり」とも言われています。さらに、シェイクスピア以後、今日に至るまで世界で最も盛んに上演されている劇作家とも言われており、演劇好きには外せない著名作家です。

近代演劇の直前まではメロドラマがヨーロッパの主流であり、必ず善が悪を打ち負かす構図が成り立っていました。キリスト教が有力なヴィクトリア朝時代の演劇では、善が幸福をもたらし、不道徳は苦痛のみをもたらすという、道徳的な結末が「ふさわしい」とされていたのです。

しかし、イプセンは、当時のチャールズ・ダーウィンやジークムント・フロイトなどに代表される「科学に基づく真実」や、詩的・道徳的という括りに縛られない人間の現実世界での言動に興味を持ちます。後に「リアリズム」と呼ばれる、既成価値に縛られない「人間の真実」に迫るストーリーを描き、大きな波紋を呼びました。

『人形の家』では、当時根付いていた「男性優位」かつ「公的な場は男性が、私的な場(家庭)は女性が」という価値観に反し、主人公の主婦ノーラが夫トルヴァルに反抗し家を出る結末が描かれます。19世紀後半に識字率が上がり、文学が新しい議論の的やエンターテイメントの一種となりつつあるときに、戯曲を用いてこのように既成体制に異論を投げかけるイプセンの戯曲は非常にスキャンダラスな出来事でした。あるキリスト教徒間の集まりでは、主催者が参加者に「イプセンの新しい戯曲(『人形の家』)の話題は持ち出さないように」と伝えるほどであったといいます。

言語表現においても、イプセン初期の作品『ペール・ギュント (Peer Gynt)』(1867) まではシェイクスピアのような「韻文」で書かれていましたが、その後、近代的表現を用いるようになります。そして、イプセンの近代的表現がその後ジョージ・バーナード・ショー (George Bernard Shaw)によって英語で用いられるようになり、韻文を伴う「劇詩」の世界的な衰退へとつながりました。

日本でも、ヨーロッパ流の近代的な演劇を目指す「新劇運動」が明治時代末期から盛んとなりましたが、この運動はイプセン劇の上演から始まったと言われています。

『人形の家』のまとめ

※ここからは戯曲の忘備録です。ネタバレ注意。

【戯曲】A Doll's House (『人形の家』)
【戯曲家】Henrik Ibsen
【ジャンル】Tragedy
【初演】1879年

【キーワード】
女性の尊厳、愛、犠牲、信念、嘘

【きっかけ】
KrogstadによるNoraへの「過去の借金」を暴露するという脅迫。

【登場人物】
Nora Helmer:妻
Torvald Helmer:夫
Dr. Rank:夫妻の学生時代からの友人
Mrs. Linden:Noraの学生時代の友人
Nils Krogstad:Torvaldの銀行の同僚
Anna/Ellen:使用人
Ivar/Emmy/Bob:Noraの子供

【主なイベント】
《第一幕》
・Noraは過去に夫Torvaldの病を療養するために「ある人」から多額の借金をしていた。久々に再開した学生時代の友人、Mrs. Lindenにその秘密を打ち明ける。同時に、Mrs. Lindenは夫の死により仕事を必要としており、銀行で新しくマネジャーとなったTorvaldに仕事をもらえないかお願いしてくれないか、Noraに懇願する。
・Torvaldに解雇されそうになっているKrogstadは、まさにNoraが過去に借金をしていた「あの人」だった。KrogstadはNoraを訪れ、Torvaldに解雇を取り消すよう説得できなければ過去の借金についてばらすと脅迫をかける。

《第二幕》
・NoraはTorvaldにKrogstadの解雇を取り消すよう懇願するものの、借金の秘密を知らぬTorvaldはその場で解雇の知らせをKrogstadに送る。
・NoraとTorvaldの良き友人であるDr. Rankは、自分の近づく死の知らせをNoraに伝えに来るとともに、かねてからのNoraへの愛を告白する
・Torvaldからの知らせを受け取ったKrogstadはNoraの前で借金の事実を綴った手紙をTorvaldの郵便受けに入れる。
・Torvaldが郵便受けに近づかぬよう、Noraは翌日のパーティーでのダンスの発表にTorvaldを無理やり付き合わせて時間を稼ぐ。その間、Mrs. LindenはKrogstadに話をつけに行く。

《第三幕》
・Mrs. LindenがKrogstadに話をつけに行く中で、二人の過去の関係が発覚し、Mrs. LindenはKrogstadとヨリを戻す。そして、Krogstadに手紙を引き取るよう説得することに成功する。しかし、Mrs. Linden自身が事を思い改め、Krogstadにむしろ手紙をそのままにし、NoraはTorvaldに真実を告げるべきだと決意する。
・パーティー後にDr. RankはNoraとTorvaldを訪れ、他愛もない会話をして帰宅する。それが彼の最後の訪問だったとNoraとTorvaldは後で知る。
・遂にTorvaldはKrogstadからの手紙を読み、真実を知る。借金嫌いのTorvaldはNoraに落胆し、自身の尊厳を損なわれたとNoraの女性・妻・母としての全てを否定する。しかし、その後Krogstadから借金については一切公言しないとの手紙を受け取り、180度態度を変え、Noraを「許す」。
・Noraはあくまで夫の病の療養のために犯した罪(そして病気だった父のために偽造した署名)が一切報われない現実にハッとする。女性として、また一人の人間としての尊厳と自由がこれまで父の「人形っ子」として、夫の「人形の妻」として奪われてきたと、夫・子供・家の全てを後にする。

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