今、うち自身について思ったこと2

今週は仕事でセンスがないからお前はもう未来がないと言われた。

そもそもうちは美容師だ。美容師たるものオシャレでずば抜けていけ。まぁ、そうだ。なんならそれがないと成立しない。相手を可愛くカッコよく美しくなんかできる人だと思ってもらえない。

オシャレは好きだ。着飾ったりオシャレな人って思われたり好きだ。でもきっと美容師としてのオシャレ度、ファッション感は低い。中身が詳しくないからね。それじゃダメなんだと思う。だってヘアはファッションの一部なんだから。
ってことが言いたかったんだと思う。

でもファッションの世界にうちは違和感がある。
当たり前なんだけど全部見た目、見た目、見た目、見た目。イケてる、イケてない。かわいい、可愛くない。見た瞬間でその人が決まる感じがすごく苦手だ。

2023年7月号のGINZAでフラン・レボウィッツが
「服は好き。かつて、服が好きだといえば表層的だと受け止められた時代があった。
(間省略)
自分の服は好き。着るのも好き。人が着るものにも興味がある。私は表層的な人間だから」
と言っている。
反抗的ではなく表層的と言う自己評価でうなずける、と文章の終わりに付け加えられているけれど、この言葉が私の違和感が間違ってないものなのかと思わしてくれた。

うちは人の考えてることだったり思考だったりルーツだったりどんな人なのかを聞くことが好き。だから人が好き。それを聞いて自分がどうするのかはあまりないから、きっとうちは何者にもなれないとは思うけど、でもそれが好き。

その聞くことが好きだから美容室でいろんな人と話す。それを知ってその方の好みと見た目と服装と髪の毛で表すんだ。そうだうちはそれがしたかったんだ。

相手から出てくる話の種。そこから広がる世界をどこまで広げられるか、それがうちに求められること、うち自身が自分に求めてることなんだ。

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