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私がセッションを提供している理由

「私は看護が好き。」
看護学生だった時に、何歳になっても
「私は看護が好き。」と
言える自分でいたいと思った。

そう感じさせてくれたのは、
編入生で既に看護師として働いていた方と話した時。
私が大学3年生の時である。
「私は看護、好きやよ。」と
迷い無く話していたのが、
かっこよいと思った。
私も「私は看護が好き。」
これを持っていようと決めた。

「私は看護が好き。」という思いは、
時として
「看護を好きでなくてはならない・・・」に
変換されてしまい
苦しい時期もあった。

働き過ぎて、体も心もずたぼろとなり、
病気による急停止をさせられた時、
「看護を好きでなくてはならい・・・」と
「私は看護が好き。」という
狭間で揺れて、
一旦は看護という仕事を手放し
大きく揺らいでいた。

一旦、看護を手放してみて
分かったことは、
■やっぱり看護が好き
■看護って、他者の人生に関わっていく仕事だな
■他者をケアしたい
■自立を促したい
■これらのために私はサポートしていきたい
こんな思いであった。

忙しさでなんだか仕事が嫌、
職場に行くのがおっくうと
なっていくのなら、
自分に合う環境を探してでも
看護を楽しんでほしい。
看護(ケア)を楽しむをサポートしたい。」
今はここの思いにたどり着いている。

自分を犠牲にしてまで、
病気になるまで、
看護師(医療従事者)に縛られる必要はない。
だけれども、
「本当は看護(ケア)が好き。」という思いが
在るならば、
一度、整理をする時間を持ってほしい。
私はセッションという形で、
その整理する時間をサポートしたいし、
あなたの中に隠れてしまった
「看護(ケア)が好き。」という思いを
一緒に見つけていきたい。

あなたの
「看護(ケア)が好き。」という思いに
近づいていく地図を
一緒に書きませんか?



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