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新学期は雷鳴とともに/最後の不登校

 教育現場での私は、常にいじめられっ子だった。 自分の何がどうで、いじめの対象になっていたかなんて、まったく心当たりがない。そもそも、いじめられっ子のほとんどが、自分がいじめを受ける理由なんて知らないし、身に覚えもないと思う。 それでも高校生になったある日を境に、その理由がなんとなくわかるようになってきた。いや、謎が解けたと表現した方が正しい。

わたしは他の子と違っていた。

 成績は上位の方だったし、善悪の分別や礼節はきちんと身についていたはずだ。容姿だって普通だと思う。だって、大恋愛の末に今のパートナーと結婚できたんだもの。
 他の子と決定的に違っていたのは、万物に対する感覚だった。
 例えば、砂浜に打ち上げられたナマコを素手で拾い上げて海に帰してあげたりとか、蟻の巣にオシッコを注ぎ込んで狂喜している男の子を注意したりとか、 一般的に言って尊厳の対象とは見なされない、ありていに言えば蛇蝎の如く忌み嫌われるような小さな命が愛おしくてならなかったのだ。
 植木鉢の下から這い出してきたヤスデが、黒光りする脚を波うつように歩く様を、まるで古代ローマのガレー船のオールさばきのようだとか、晩秋の頃に卵で膨れたジョロウグモのお腹を極彩色のペイズリー模様に例えたりとかは、俗に言うフツーの子供はもち得ない感性だろう。

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 万物への興味──愛情と表現すべきなのか──を示すたびに、クラスメート達からハブられ、時には教師までもがその輪に加わった。自分の何がコミュニティに受け入れられないのだろうか、と真剣に悩み始めた高校在学中のある日、倫理社会の授業でそのヒントが唐突にもたらされた。
 オランダの哲学者、バールーフ・デ・スピノザ。森羅万象、この世に存在するすべてのものに神が宿っているとする汎神論的一元論を説いて、キリスト教会から異端視されたばかりか、地域コミュニティからも迫害を受けたスピノザ。汎神論的一元論は、道端にもトイレにも神様がいるとするわが国古来からの考え方、八百万の神(やおよろずのかみ)にも通じる概念なのだけど、気の毒なことにスピノザが生まれたのは唯一神を頂くキリスト教国であり、イスラム世界に生まれたとしても彼の運命は変わらなかっただろう。
 教科書に載せられた挿絵──投石やひそひそ話でスピノザをあしらう市民、その後、彼の身に振りかかった奇禍が自分に重なったのだった。それからほどなくして、私はしばらく学校へ行けなくなった。

不登校、それから

 いじめが原因で学校へ行かなかったのは、この時が初めてではない。いじめが激しくなると病気を理由にたびたび休んでいた。仮病ではない。登校する時刻が近づくと、腹痛、吐き気、頭痛に襲われる。症状は実際にあったのだから精神科的には何かしらの診断が下ったはずだ。
 ネットのない時代の相場師だった親は忙しさのあまり、わたしを医者に診せるかわりに、具合が悪ければ寝ていろ、とばかりに咎めもしなかった。実際、親が学校へ欠席の連絡を入れる頃には、前述の症状はすっかり消えているのだから心配もされなかった。
 おかげでわたしは、スッキリした意識でひどい罪悪感に苛まれていた。
 この症状に見舞われるのは決まって休日明け。いわゆるサザエさん症候群というやつなのだろう。これが連休や、長期の休み明けともなれば起き上がれないほどの症状に襲われる。なのに夏休み明けだけは事情が違っていた。
 スピノザの人生をなぞりかけていた高校生のわたしは、人生で最後になる長い不登校期間のうちに、幼い頃から強制されつづけた8月31日の儀式に思いを馳せていた。

8月31日の儀式

 言うまでもなく夏休み最後の日であるわけだが、私にとってのこの日は、世の中の児童生徒が味わうであろうそれとはまったく異なる感傷をもって迎えていた。
 今ふり返れば随分と大時代的だったと思うが、わたしの一族には、年長の伯父を中心とした大家族主義のような気風があり、一年のうち何回かは、一族郎党がうちそろい、血筋のルーツである山間の旧家で宴をもよおすことが恒例行事になっていた。8月31日もそのひとつで、たしか先祖の誰かの祥月命日だったと記憶しているが、子供のわたしにはどうでもよいことであった。
 わたしはこの夏休み最終日に催される祝宴が大嫌いだった。
 大人たちは深夜まで飲み食いをし、従兄弟も体力がつづく限り存分に遊ぶ。挙げ句、全員がざこ寝をして朝を迎えることになるから、翌朝は必然的に山間の旧家から伯父の自動車で登校することになる。だからわたしも従兄弟たちも、夏休みの宿題を詰め込んだランドセル持参で、8月末日の宴に参加することになっていた。
 伯父は度量が大きい人だったが、戦前生まれにありがちな精神主義の塊みたいなところがあり、ちょっとやそっと体調が悪いくらいでは学校を休ませてはくれない。そして何故か、この二学期始業日の朝に限っては、不思議と具合が悪くならないのだ。もしかしたら宴の前日、ランドセルに夏休みの宿題をつめこんでいた時点で自分の身体が諦めていたのかもしれない。どうせ、伯父は譲歩してはくれないだろう、と。

死にゆくセミの幸せ

 従兄弟たちは、この夏休み最終日の再会を楽しみにしていたようで、夜遅くまでゲームやトランプに興じていたのだけれど、楽しげな歓声が上がれば上がるほど、わたしはその輪のなかに入って行きづらくなっていた。
 気がつけば、ひとり薄暗い玄関ですすり泣いていることが多かったと記憶している。家に帰りたい心細さと、明日からは意地悪なクラスメートたちの顔を見なければならない憂鬱もあったのだけれど、この日は夜が更けるにつれて雷鳴が低く轟いていて、その低いバスドラムの振動が心の余裕をいっそうそぎ取っていた。
 上がり框に腰掛けてたわたしを照らしているのは、裸電球を仕込んだ家紋入りの大きな提灯。その下に、一匹のセミが透明な羽を下にしてひっくり返っていた。

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 せめて蟻の餌食にされぬよう土に埋めてやるつもりで拾い上げると、彼はひとしきり電子音的な悲鳴を残して動かなくなった。
「こんなところで、なにをしているんだい?」
 驚いて振り向くと、背の高い若い僧侶が背後から見下ろしている。
「きみも、にぎやかなのが嫌いみたいだね」
 人見知りの激しかったわたしは、初対面の人に声をかけられたら、伏目がちに退散するところだけれど、
「わたしもお酒の席は苦手でね、ひとりになりたい時があるんだよ」
 その一言で、彼が隣に腰掛けることを許容していた。たぶんお経をあげにきた住職の息子さんだったのだろう。提灯に照らしだされた端正な横顔は、わたしの手元をじっと見つめていた。
「おや、ヒグラシだね。夏休みの宿題に、標本にするの?」
 わたしは即座にかぶりを振った。
「蟻に食べられたら可哀相だから、お墓を作ってあげようかと思って」
 今度は僧侶が、笑みをたたえた顔を横に振った。
「そのままにしてあげなさい。そのほうが、セミも幸せだと思うよ」
「でも可哀相、蟻に食べられたら」
「うーん、それは人間だけの考え方かもしれないな。生きものはね、なにかしらの役目を果たすためにこの世に生まれてくるんだよ。そしてなにかしらの役に立って死んでいくんだ」
 わたしは動かなくなったセミを見つめた。
「何年も土の中で過ごして、やっと大人になったと思ったら一週間くらいで死んじゃうのに?」
「鳥やカマキリに食べられちゃうやつもいるだろうね。それでも、セミにとっては幸せなのかもね」
 自分の有り様が手のひらのなかのセミに重なる。思わず言葉が尖っていた。
「卵を産む前に食べられちゃっても?」
「そうだよ。鳥やカマキリにしてみたらセミはご馳走かもしれないよね。きみだって肉や果物は好きだろう?」
 何も言えなかった。
「セミは木の汁を吸い、鳥はセミを食べる。その鳥も、いつかは死んで木の養分になる……。自然ってやつはうまくできているのさ」僧侶の眼差しが提灯にまとわりつく蛾を追いかける。「ところで、なんで泣いていたの?」
 うつむいてしまった。答えあぐねているうちに追い打ちがかかる。
「明日から二学期だしね」
 どう答えたのかは覚えていない。ただ、わたしの中で何かが壊れたことだけは確かだった。
「そっか、きみは雷が怖くて泣いているんじゃなかったのか」
 クラスのほぼ全員にいじめられている──
 そう告げたかもしれないし、言葉にはならなっかたかもしれない。ひときわ大きい雷鳴が、嗚咽に埋もれそうな言葉をかき消していた。
「今は辛いだろうけれど、嫌なことも悲しいことも、いつかきっときみの役に立つはずさ。意地悪をする奴は、きみを強くしてくれているとは気づかずにいる可哀相なやつだと思えばどうだろうな」
 彼の真意をうまく飲み込めなかったけれど、わたしを励ましていることだけは理解していた。見上げる提灯が、涙でグニャリと歪んだ。 

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「いまにきみは、強くてやさしい人になるよ。だから頑張れ!」
 僧侶はわたしの頭をひと撫ですると、ぴょんと跳ね上がるように立ち上がり、まだ宴席が続く広間の方へと去っていった。

“いじめられ気分”からの解放

    当時まだ10代の入り口だったわたしの耳に、僧侶の言葉が謎かけのように残り続けた。いじめという卑劣極まりない行為、それを斟酌なく投げつけてくるいじめっ子は、自分を傷つけるだけの存在としか思えなかった。僧侶が残した謎への挑戦は、その日からスピノザの生涯を知る日まで、繰り返し繰り返し続くことになる。
 
 そして人生で最後となる長い不登校の最終日、わたしはついに結論に至った。

   スピノザは付和雷同せずに自分の考えを述べたにすぎない。
   空気を読む。
   忖度する。
   長いものに巻かれる。
 勝ち馬に乗る。
   それら、組織のなかでは賢いとされる処世術が、時として日本を破滅へと導いてきことは戦史に於いて証明されている。
 逆に、異端視された人物や考え方が後の世を作ってもきた。
 地動説を唱えて異端審問を受けたガリレオ・ガリレイ、大陸移動説を提唱し不遇の人生を送ったアルフレッド・ウェゲナー──
 どんなコミュニティにもオピニオンリーダーはいる。学校ならば男の子を魅了する美しくも気の強い女子、スポーツ万能でトークが巧い人気者──彼らにひとたび異を唱えようものなら直ちに孤独という牢獄へたたき込まれてしまう。
 ガリレオやウェゲナーの轍を踏まぬ様、集団の意志に反する考え方、感覚の種火は、心の内側で密かに燃やし続けるといい。そしていつか、自分を傷つけた集団を燃やし尽くすほどの炎になるまで、感覚や能力を磨くべきだ。
 そう思い至った高校生のわたしは、それからは不登校に陥ることは無くなった。

  他人と違っていることは、それだけで力になりうる。
  今いじめに苦しんでいる子に伝えたいのはそれだけだ。
  どうか自分に自信を持ってほしい。
  君は他人が持ち得ない素晴らしい力を秘めているのだ、と。
  そして傷つけられた経験は、弱い他者への憐憫の情を育む。
  かく言うわたしも今、社会的に弱い立場の人たちのために働いている。
  十分な収入もある。
  暖かい家庭もある。
  そして、もう誰も自分をバカにする者はいない。
   
 この原稿を書いている令和2年8月31日の午後、あの僧侶と出会った山里の上には巨大な“かなとこ雲“がそびえ立っているのが遠望できる。今夜もきっと雷鳴が轟くことだろう。
 あの日の決意を思い出すために、もう一度、あの懐かしい山里へ出かけてみようと思う。
 願わくば、わたしを心の牢獄から救い出してくれた僧侶に、心からの礼を述べるためにも。

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