言語化2
Nadar女性の表現講座の、『写真を言語化する』という野川かさね先生のWSに通うようなり、
言語化=自分自身と向き合うこと
だと、理解してから、
「なんで自分の写真について自分が語れないんだよ」って、葛藤する日々がやって来たw
だからなのか、食べ過ぎて太った!WSは終了したが、まだ痩せない。
更には、
「自分ってなんだよ!」みたいな所まで派生していって、
「あー、写真から離れたよ、私。。」そんな行動も取ったりした。
色々なものに出会いにいったり、飛びついてみたり、写真と関係ない集まりに参加したりと、とりあえずもがいてみたw
中でも、そこで写真と繋がってくるんだ!と思ったのが、毎週火曜の早朝に参加している、実用書限定の読書会。
「表現」に関しては、小説に劣るはずなのに、私の場合は実用書が写真に結びついていった。
齋藤孝さんの本が好きで、
中でも『聞く力』(大和書房)は、もう、ここ何週間も持ち歩いている。
「自分自身の整理として書いていた日記を、現代では他人にも聞かせたいという欲望が渦巻いている」
うんうん。
齋藤孝さんは、聞いて欲しいという思いはあるけれど、
まずは自分のことを自分で聞きとる作業=書くという作業をする。
「書くことはめんどくさいし、モヤモヤしたものを形にするのはつらい!」
「ぼんやりとしてはっきりと言葉にできないこと、その距離を埋めていくのが書く作業。」
「この言葉はどうかな?
少し違うな。
ならこの言葉はどうかな?と、当てはめていきながら、、、
自分の考えとの距離を測りながら焦点を絞り込んでいく。」
以上は要約しているが、この部分を読んで、
言語化のWS の課題と同じじゃん!って思ったし、
東大卒の先生でも辛いのか!じゃ、生半可で出来るわけがないよなと思ったし、
同時に、
自分の中にあるものを、引き出して、言葉にしていくことって、難しいことであって、最初から出来なくて当然とも思えた。
だからこそ、地道にやるしかなくて、
書いて、視覚化して、振り返って、また悩むのループにハマってて当然なのだと。
写真も同じなんだと。
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