見出し画像

良い写真なんてそう簡単には撮れない

写真を学んだ者にとっても、そうでなくても写真の魅力に惹かれた者にとっても、
良い写真とは何か?
の疑問を持ち続けることとなろう。

良い写真の定義とは何だろうか。
言葉で伝える事、表す事は非常に難しい。

著名な写真家の作品、有名な写真、それらは良い写真であるが、どうしてそれが良いのか説明することは難しい。

写真を見る人の感性の違いか、写真にも好みがあって、良い写真だとしてもそれにも好き嫌いがある。

それならば、個々で良い写真の感覚の違いが出てくるのは当然かもしれない。

良い写真の定義はとりあえず置いておこう。

では、写真を撮るものにとって良い写真を撮るのはまず目的であることに異論はあるだろうか。

写真を撮ることは、ある意味コレクションであるとわたしは考える。

自分のお気に入りの瞬間を写真という形で集めること、それが写真を撮るものにとっての行為で、
コレクションを増やす行為が撮影という行為であろう。

撮影することで写真を撮るものはコレクションを増やし続ける。
それは継続的であろう、たまには休むこともあろう。

コレクションは撮影ごとに増えるが、
それらはすべて良い写真であるか?

いや、すべてではないはずだ。

フィルムで撮影しようとも、
デジタルで撮影しようとも良い写真はそうそう簡単には撮れない。

撮影ジャンルを問わず、それをコレクションするためには撮影という行為をひたすら繰り返さなければならない。

わたしが本格的に真剣に、
写真を学んでいたころはフィルムしかなかった。

当時言われたことは、
「フィルム一本撮っても、選べる写真が一枚もないことがあるのは普通だ。」

確かに36枚撮りフィルムを一本消費しても「良い写真」とやらは一枚も得られないことが普通にある。

それは「写真が下手」ということではなく、
「そういうことは普通にある」のだ。

デジタルでもまったく同じこと。
何十枚撮影しても満足いく「写真」は得られないことが普通にある。

わたしの経験は他人のお役に立つかわからないが、
ここで記そうと思う。

写真を撮る行為は「ただ写真を撮る」だけで終わらせるのではなく、
「写真を撮る、写真を見る、考える、写真を選ぶ、そして次の撮影をする」の繰り返しだと考える。というかそういうものだと学んだ。

それを実践していると、36枚の中のたった一枚の「良い写真」が少しずつ増えてゆく。

36枚の中で二枚、三枚になる。
これは経験上確かだ。
それだけでなく撮影本数が増えれば、
一枚、また一枚と「コレクション」は増えるのである。
確率は低くても、「コレクション」は確実に増えてゆくものだ。

繰り返し写真を撮るという行為なのだが、
上記に補足する事項もある。

「写真を撮る」これは「たくさん写真を撮る」こと。
「写真を見る」これは「自分の写真も他人の写真も見る」こと。
「考える」これは「(自分のも他人のも)選んだ写真、(自分の)選ばれなかった写真について考える」こと。
「写真を選ぶ」これは「撮影した写真からまず少し多めに選ぶ、そして選んだ中から厳選する(できれば厳選の中からさらに厳選を繰り返す)」こと。

これらを繰り返すことで「良い写真」は増えることになるだろう。

フィルムは一本という区切りがつくが、
デジタルはできないので、
撮影した一日で区切るといいと思う。
複数台カメラを使うのなら、
カメラごとにもして区切る。
これで繰り返しの作業がわかりやすくなるかと思う。

また、「良い写真を撮る」には「良い写真を見る事」も必要だと考える。

好き嫌いはさておき、数多くの写真を見ることを推奨したい。

皆さん(とわたし)のコレクションの充実を願って。


この記事が参加している募集

#カメラのたのしみ方

54,940件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?