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カメラのたのしみ方

そのまんまのタイトルです。

「カメラ」のたのしみ方。
ここは「カメラ」限定ですよね。

写真のたのしみ方

とは違う方向性で文章を求められています。

「たのしみ方」はここでは「楽しみ方」とさせていただきます。

さて、カメラとは。

そもそもカメラとは「カメラ・オブスキュラ」
もしくは「カメラ・オブスクラ」

ラテン語で「暗い部屋」という意味。
現代において写真機のことを「カメラ」と呼ぶのはこれに由来します。

カメラ・オブスキュラは大きな暗い部屋で、
壁面にあるピンホールより光を取り込み、
反対側の壁面に像を投影させるもの。

昨今でもピンホールカメラは同じ原理で小さいだけで構造的には同じ。
ピンホールではやや甘い像になるので、
レンズを用いてシャープにするとか、画角を変化させるようになります。

大きな暗い部屋のカメラ・オブスキュラも小型化され、壁面ではなくすりガラスに像を投影させるようになる。ミラーも組み込まれる。

そう、だんだん現代のカメラに近くなる。
というか、カメラの歴史がそれである。

投影された像をトレースすると写実的なデッサンとなる。

金属板に銀メッキをしたり、そのまま銀板だったりをカメラ・オブスキュラに入れて感光させる、
現像して銀板写真ができる。
銀板の感度を上げるためにヨウ素の蒸気にさらす。
フィルムでも使われるハロゲン化銀の始まり。

写真乾板が作られ、紙フィルムが作られる。
紙の代わりにセルロイドベースのフィルムが作られる。

セルロイドは可燃性があるので、アセテートが素材に変更された。
フィルムで写真撮影したことがある人で、
コダックのフィルムを見ると「Kodak Safety Film」の文字があるのに気づいた人はいるだろうか。

これは可燃性ではない安全なフィルムですよということである。

そして、フィルムが本来あるべき位置に
受光素子を置き、素子の信号をデジタル処理して、
画像を作り出すのがデジタルカメラである。

デジタルカメラ前史として、スチルビデオカメラも存在した。

そして今後、カメラはどうなるのか?

究極として、自分が見たものがすべて何らかの形で鮮明に残せるもの。

人間の記憶は鮮明かというとそうではない。

そして視覚を超越したものがカメラは残せる。

超望遠の世界。超広角の世界、マクロの世界。

鮮明にそれらを残せる写真はカメラによるもの。

視覚を超越する必要は絶対になくてはならないものではなく、
普段の視覚である日常を残すのもカメラである。

いつかカメラという写真機の存在が消えても
歴史上作られた写真機、カメラは残るだろう。
それでも形あるものはいつかは消えるというけれども。

ここに綴ったカメラの歴史なんか知らなくても、
カメラを使えば写真もしくは画像は得られる今。

我々はカメラを道具として記録、いや記憶を鮮明に形として残すことを存分に楽しもうではないか。

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