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赤い扉

小中学生の頃、わたしの周囲では『なかよし』派と『りぼん』派が熾烈な覇権争いを日々繰り広げはしていなかったが、分かれてはいた。『少女コミック』派『マーガレット』派もいたが少数派だったように記憶している。
わたしは『りぼん』派だった。「ときめきトゥナイト」がヴァンパイア風味の学園ラブコメからヒロイック・ファンタジーへと舵を切り始めていた。「有閑倶楽部」「お父さんは心配性」「いるかちゃんヨロシク」……ぎゃー!懐かしい!!のちに少数派というより斜に構えたナイーヴおねえさん好みであった『ぶ〜け』に鞍替えするのだが、それはまた別の話。
『りぼん』の連載もさることながら、付録もお楽しみであった。あるとき、小さなダイアリーが付いてきたのだったか全プレだったか…え?全プレをご存じない?「応募者全員プレゼント」の略。じゃあ普通に付録でいいじゃん、応募が必要ってどういうことよ?という幼い疑問は脇に置く。どの漫画のものだったか忘れたが、赤いボール紙の表紙で、サイズはちょうど野帳と同じくらい。え?野帳をご存知ない?ググッてごらんなさい。中身は五センチ程度の幅に五行くらいで一日分のスペースがちゃんと一年分あり、なので薄めの文庫本程度の厚みになっていた。
そのダイアリーを手にしたわたしは、何の気なしに文字通り日記のようなものを綴り始めたのだった。が、一日の出来事を五行におさめるのは、箸が転がるだけで呼吸困難になるほど笑えるお年頃にとっては至難の業だった。いや別に自由にはみ出して書いたっていいじゃん、むしろ普通の日記帳で書けばいいじゃん、と今なら突っ込むところだが、視野狭窄でどうでもいいことに限って几帳面さを発揮する子だったわたしは何とか五行にまとめようと躍起になった。試行錯誤しながら、その日のメインとなる出来事や感想感情思想妄想を抽出して書くようになり、今なら厨二病と揶揄される思春期特有の自意識が加味されてやがて詩のようなものへとなるのにそう時間はかからなかった。
今わたしがこうして詩だの短歌だのをnoteに書き散らかしている源流は、『りぼん』付録のダイアリーに始まったのだ。大人になっても捨てずに結構長い間持っていたのだが、何度か繰り返した引越しのどこかで処分してしまったらしく、今は手元にない。そこにシャーペンで言葉を書き連ねていた頃と、スマホやPCに打ち込んでいる今と、わたしの根っこは同じである。
ただ、赤は嫌いだった。この色が嫌だな、と思いながら使い続けていた当時の自分が不思議である。

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