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今年からだった

今日は大晦日。我が家は、特別なことをしなくなって久しい。
2人家族の年越しなんてそんなもんさ。男子高校生と2人きりで今さら何をしろと言うのだ。奴はスマホに目も耳も心も奪われたまま、早々に年越し蕎麦を食べ終えて、夜中には友達と初詣に行くのだ。早々に子離れが完了したわたしはわたしで、いつもよりアルコール度数高めのレモンサワーですっかり出来上がっている。
自分が子どもの頃は、親たちが必死になって掃除をし買い出しをしご馳走を作り紅白を見て初詣に行っていた。年越しとはそういうものだという幼い頃の刷り込みはなかなか強力で、何もしないと言いつつ、それとなくいつもはしないような場所も掃除しちゃうんだけど。年越し蕎麦はマスト、これはわたしが蕎麦好きということに加えて、メニューに悩まなくていいという年中行事ならではの合理的な理由。日々の食事に頭を悩ます者たちが、どれほど様々な年中行事に助けられていることか。
しかしおせち料理。これはさ、大家族前提よね。親と子だけの極小単位家族におせちはねぇ…その代わり年に一度の贅沢として、カニを食べる。そもそも会話の無い家庭なので、カニで無言になるくらいどうってことはない。カニはひたすら美味しいし。
なんてアンチ正月みたいなことを言ってはいるが、実際はお正月らしいことは実家に一任しているのであった。つまり、いまだに親が整える正月に乗っかっているということ。おせちもお雑煮もおミカンも、おこたに入って箱根駅伝見ながら、一日中ゴロゴロダラダラ食っちゃ寝。本当にそれが許されるのは、そういう年始のために年末に汗をかいた者だけなのだろうが。

こんなグダグダの文章を晒してもいいnoteったら、なんて懐の深い媒体なんでしょう。この世の片隅で、誰でもない、他ならぬ己だけの要請に従って詩のようなものを書かずにいられないわたしにとって、ここはとても貴重な場所だ。何がきっかけだったのかもう忘れてしまったが、始めたのがちょうど1年前、今年の1月。2019年は、noteを始めた年だった。作品を作って投稿することが、わたしの中に根付いた年だった。
過去にあった悲しいこと辛いことが何故か頻繁に思い出されて、たくさん泣いた年でもあった。もう一生分泣いたと思って泣くことを封印していた、だけどまだ足りなかった、まだ泣きたかった自分にも気付いた。
今さら叶わない、ままならない思いを抱えてしまい、己と人を呪う闇に落ちながら、それでも、だからこそ生きていると感じられた年でもあった。
そして、その闇の縁にかすかに見える指とその指の持ち主が、そうとは知らずにわたしを救ってくれることにも気付いた。
あと少し、今年を見送ろう。

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