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【Day31(22/2/3】無責任の体系からの脱却
こんな時間になってしまったのでショートに書きます。
どれだけ忙しくても自分の能力や経験が活かせていて、組織なり社会に貢献できていて、そして自身の成長を実感できているのであれば、いくら時間とエネルギーを割いても全く苦ではないというのが持論です。時間がある限り仕事をしたいと思えるのは幸せな状態だと心から思っているのですが、周りから見るとワーカホリックだったり、社畜のように見えてしまうのかもしれません。
さて、今日は責任の所在についての持論を書いていきます。タイトルの「無責任の体系」というのは丸山眞男氏の言葉ですが、本来的な意味とは少々異なる文脈で用いてみます。
これは日本人の特性なのかもしれませんが、曖昧になんとなくで仕事が進んでいって、結果として誰が責任を担っているのか不明瞭になってしまうことが本当によくあると思います。これは個人の特性なのですが、私はそういう曖昧に物事が進む感じがとても嫌いで、責任の所在を明確することにとても熱心な性格です。
責任の所在を明確にする方法はすごくシンプルで、
・誰がやるのか
・何をするのか(目標)
・いつまでにやるのか
をクリアにすることに尽きます。ここに「どうやってアウトプットを評価するのか」という効果検証の観点を入れることも大きな肝な気がします。あとはここについて遠慮することなく議論し切ること、曖昧にせずはっきりさせられるかどうか次第です。ただ意外とこれができない。どうして意外とできないのか、それとどうやって乗り越えていくのかはまた別途考察してみます。
最後に一点補足を。
「誰がやるか」の部分で、責任感が強い人ほど、どんどん自分でこなしていこうとする傾向があると思います。しかし、自分がやらなくとも、上記に記載している項目について明確なのであれば、自分でやらなくとも、もちろんそれは無責任ということにはなりません。逆に、自分がキャパオーバーして機能しなくなってしまっては、それこそ無責任という評価が下されます。
大切なのは自分がやることではなく、誰がやるかを明確にすることなので、そこは念頭に置なかければと自分にも言い聞かせています。
本日は以上になります。最後まで読んでくださりありがとうございました。
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