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皆が作ってくれた居場所

覚悟はしていたことだったが、ついに花粉症デビューをディズニーランドで果たした22歳男子大学生。この度大学を卒業して現在一時的にニートである。

コロナ禍で入学式が中止になり、その1年後に実施された際も特段興味がなく出席しなかったのだが、最近になってゼミの同期が学長に入学式を直訴して1年後の開催が決まったという話を聞いて行っておけばよかったとプチ後悔している。

4年間、人生の夏休みと言う人がいるが私にとってこの4年間はむしろ繁忙期で、とてもじゃないが休んでいたとは思えない。
初めてお酒を飲み、朝帰りをし、友達と旅行をしたり。確かに遊んだ時間も多いが大半を大学の中とアルバイトで過ごした。普通大学というのは学年が上がるにつれて行かなくなるものである。まして卒論の提出が必須では無い私の大学で、4年次に週1日以下しか大学に行かない学生が9割くらいのところを、私は週3日以上通っていた。特に後輩からは、いつ大学に行ってもいるめちゃくちゃ暇な先輩だと思われていたと思う。

何故そこまで大学に行っていたか、1つは曜日や時間に縛られず自分の取りたいと思った科目を履修していたからだと思う。大学の学費は年間で100万円前後だったと思うので同じ学費を払っているならなるべく多く、大学が提供する学びや施設を活用したいというどケチ精神で4年間大学を使い倒した。ちなみに1番のケチエピソードは自販機で水を買わずに、食堂に行き何も食べず給茶機でお茶を飲むことである。

もう1つの理由はとにかく人が恋しかったからである。私は50人以上の規模の団体2つに所属して代表レベルの役職を頂いて活動していた。そこに加えて後輩の授業を補助する学内バイトも2年から延べ9科目担当していたので、冗談抜きに大学を歩く時は10歩に1回くらい挨拶されていた。
相手にとっては当たり前で、一瞬の時間なのだが、僕にとってはその瞬間に目をそらさずに挨拶してくれることがとても嬉しかったし、なにより大学に来るモチベーションになっていた。
入学前に参加したオープンキャンパスで感じた学生同士の距離感の近さは、嘘偽りのない本物だったのだ。

もうみんなでお揃いのTシャツを着て「授業」という形でイベントを実施したり、夜遅くまでzoomをしながらレポートやプレゼン資料を作ったりすることがないのはなんとも言えない寂しさがあり、居場所を失うようで怖い。
しかし僕たちが4年間で経験したことは大学という環境を飛び出し、今は人と人というそれぞれの関係を築けている。同じ社会人として、またいつまでも先輩後輩として、会うことが出来る。それだけでも4年間周りと過ごした時間でたくさんの居場所ができたと言える。
またいつか戻ってこれる居場所をたくさん作れたのは、関わってくれたみんなのおかげであり、私の誇りであり、人生で一番の宝物である。

さて、卒業したのは大学だけではない。
4歳の頃から続けてきたピアノは、先日17年の長い歴史に幕を閉じた。弾きたい時に弾きたい曲を弾く、という自由なペースを親も先生も許してくれたおかげで長く続けられることが出来た。

そして高校卒業後から4年間続けてきた飲食店でのアルバイトは、本当にギリギリの3月30日まで続けた。同い年のバイトは6人いたが、専門学生で2年前に卒業した2人を含めて6人全員が、社会人になるまで辞めずに働いた。
学生バイトの勤続年数ってどれくらいなのだろうと調べたところ最も多かった回答が1年間だったので、奇跡的な代だったかもしれない。年中無休で誰かしらシフトに入らなければいけないことからご飯に行く機会が少なかったのだけが残念だが、これからも定期圏内なので今後は常連さんとしてお店のファンでありたい。

さて、多くの人との別れを悲しんでいるからか最近雨の日が多いが、嫌だ嫌だと言ったところで4月1日はやってくる。切り替えてポジティブに捉え、社会人という長距離を走り抜けるためのスタートダッシュを決める必要がある。

藤井フミヤの「Another Orion」では
『別れじゃなくてこれが出会いさ』
という歌詞がある。
勝手に解釈して勝手に引用しているが、ここからの新たな出会い、そしてこれまで共に過した友人たちにまた再び会えることを信じて自分自身で居場所をつくっていきたい。

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