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体験型学びがなぜ必要かー当たり前の知見なんて、ないー

先月末大分県の社会福祉協議会主催の介護現場で働く外国人職員と日本人職員の交流会を行いました。
目的はコミュニケーション上の不安等、互いに共有し、できることを考えるというもので、同じ事業所から外国人職員と日本人職員の参加も多かったです。

参加者数は43名程度で、様々な立場の外国人職員(技能実習生、定住者、留学生等)や日本人職員の方の参加が見られました。

介護現場に外国人スタッフが職員として就労し始めたのは
学術的な資料では2005年、日本人の配偶者の方々であったと、個人で把握しています。
その3年後には、在留資格の「特定活動」としてEPAに基づく外国人材が入国し、すでに20年弱、外国人職員の受け入れがなされています。

しかし、この20年の間、コミュニケーション上の不安などはほぼ、同じ
悩みにバリエーションは増えているものの「コミュニケーションが通じるか不安」といった点は20年近く変わりません。

不安だけど、一歩踏み出せない、不安止まり。
そのために、どんな「きっかけ」が必要なのか。

異文化理解に関する本も、それこそ、半世紀ほど前から出版されているのに、なぜ「手に取ること」がないのか

行動変化につながらない理由はきっかけを他者に依存するから?など
なぜが爆発して、論文執筆に至った7年前。

そういった中で「考える」だけではない、体験型の学びが妥当であろうとぼんやり思いました。教育も「知識注入型」から「体験型」すなわちアクティブラーニングに代表されるように、体験を通して感じたことや気づきは人に残りやすいし、「異文化理解は大事です」ということを声高らかに訴え、「そうだ、大事だ、大事だ」というような同意を得ることが目的ではなく「あ、異文化理解大事かも」と一人一人が気づく、そして行動するような市民性教育であるべきだと思ったから。

今回の研修もこの点を志向し「同じ事業所のスタッフが言いたいことを言える」ためのステップとして、話しやすい場・コミュニケーションの要素を体感できる場を共有した上で「外国人スタッフも日本人スタッフもいいたいことを話そう、そして、課題があれば、どうしたらいいか具体的なステップを考えてみよう」という流れにしました。しかし、「言いたいことが本当に言えるのか」「忖度しちゃうかな。。」という一抹の緊張を残しながら、当日を迎えました。

日本人職員と外国人職員が共に話、具体策を考える中、出てきた内容の一部と、内容から出てきたカテゴリーを紹介します。

☆外国人スタッフが不安に感じること
・コミュニケーション態度に関することや職員との関係性に関すること(日本語を話す自信がない、話しかけにくそうな人とコミュニケーションをとること)
・業務の遂行の点での不安(介助がうまくできない、認知症の人への対応)
・日本語の言語知識と場面における日本語の運用力(漢字の読み書き、電話を取ること)
・日本で生きていく生活面(ホームシック、勉強が忙しくてプライベートの時間がない)

この中で「日本語の言語知識と場面における日本語の運用力」「コミュニケーション態度に関することや職員との関係性に関すること」へのコメントが多かったです。また、生活の土台となる部分もある程度落ち着いてからこそ、仕事に力を注げるため、そういう点のも考慮したいです。

★日本人職員が不安に感じること
・コミュニケーションが伝わっているかどうかの不安

この点は、従来から指摘されていて、やっぱり不安とのことでした。

言語が異なる点もありますが、最近これについては「日本人同士も結構頻繁にあるなぁ」と個人的に思いますが、いかがでしょうか。。

その後、「不安いろいろあるけど、具体的に何してみる?」といった形で解決策を探っていきます。
今回、日本人職員がその解決法を提示する形として進められていたので「共に考える視点だったか」という点でファシリテートに再考の余地があるが、いくつか紹介します。

❤︎対応策
・関係性を積極的に構築する(毎日話しかける。仕事以外の話をする。お互い不安なので、挨拶だけでも必ずして話しかける)
・歩み寄る(日本人職員も外国人職員も一緒に頑張る)
・他者・多文化を知る(ジェスチャー表現の違いなど)
・相手の立場に立って考え行動する(外国人スタッフは実施したことがないことの内容を自分で調べ、自分がされたら嫌なことを考えて、手段を考える。現場ではできるだけ標準語を使う)

この対応策一つ一つは、いわば、すでに言われていることもあるだろうし、「当たり前だよ」なんて声も聞こえてきそうですが

その場のやり取りを通し、お互いが思っていることを確認した上で、
自らの言葉で表現したことは、
当たり前のことではないわけです。今まで「大事だ」という意識にまで繋がっていかなかったわけですから。

ここに、教育実践としての価値があり、
体験型の価値がある

私は、自分が研究した内容が広まってほしい、、とかつて思いましたが
今は、その点には無関心です。
しかし、研究は多くの人の支えがあってこそできたもので
続けていく使命を感じ、やっています。
つまり、体験を通した気づきがこれからの多文化社会の市民性教育につながると信じているから。

こういう学びの場がこの記事を読んだ人が各々の現場で実践してみようと思ったり実践していってもらえたら、それはミラクルなんだと思います。


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