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言葉にしたら、それは少し、嘘になる。


言葉にしたとたん、それは、少し嘘になる。

目で見たものを、感じたことを、情景を、そのまま100%伝えることなどできないからだ。
では、「見たもの」は、100%真実なのか。

いいえ、
人は、物事を「見たいように見ている」。


言葉は主観的。


言葉にすることで、どんな情景も、デキゴトも、感情も「主観」が入る。
純度100%の言葉などない。

言葉は主観的である。どんなに客観的に書いたものでも、書き手の解釈が入っている。書く前から、見た時から、そこに主観はあるのだ。
だとしたら。


言葉は不完全である。いつだって、伝えたいことを全て伝えきることなどできない。
大好きな人への思いも、「好き」と定義したとたん、何か足りない。何かが足りないのだ。


それでも私たちは「言葉で伝える」ことをする。
言葉にしないと、何も残らない。


今のこの感情も、もどかしさも、目に映ったものも、言葉にしないと消えてしまう。
言葉にしないと認識されない。今、ここに自分がいることを、言葉にしないと届かない。


言葉は、不完全。


言葉は不完全である。
言葉は主観である。


使いようによっては、相手を支配することができる。恐ろしいものである。


だけど私は、言葉にすることをあきらめない。
どうすれば伝わるかを、突き詰め続けていく。
怖い怖いと言いながら。ずっと恐れながら。


人を支配するためではなく。
思うままに人を動かすためでもなく。
「共感してほしい」の押し売りでもなく。


言葉にすることで、見える世界を、再定義したい。



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