善人顔のナイフ〜正論は、凶器になる。
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善人顔のナイフ〜正論は、凶器になる。


正論には意味がない、と思う。正しいことを四角いまんま伝えることに、何の意味があるのだろう。



求められていない正論は、ナイフだ。


正論を言われると、責められている気がする。
正論を言われると、できていない自分がダメなんじゃないかという気がする。
そして、その先に解決方法がこれっぽっちも見つからない。


私が正論の意味のなさに気づいたのは、長男を生んでからだ。

長男は母乳の飲みが悪く、生後三カ月健診で体重が全然増えていなかった。健診が始まってすぐ、担当の保健師がため息交じりに言った。

「どうしてここまで放っておいたの」

初めてのわが子、小さくて、ぐにゃぐにゃで頼りなくて、何を考えているのかも何を欲しているのかもわからず、それでも毎日向き合ってきたのに。放っておいたことなんて、一日も、一時間も、一分もなかったのに。
体重が増えていないことに日々悩み、一日15回を超える授乳をし、毎日夕方になるのが怖くて、夜中になると泣き続ける長男を抱きながら家じゅうを徘徊していた。


育児をしていると、「正論」が日々降りかかってきた。


育児をしていると、毎日のように正論が降りかかってきた。

「子どもは母親が大好きなんだよ」

「子どもが欲しくてもできない人もいるんだから、すべての悩みは幸せだよ」

不安になり育児書を読み、ネットの中に答えを求めた。

「母親が笑っているのが、子どもにとって一番」
「お母さんは、家族の太陽なのです」

孤独な子育てがつらくて出かけたベビー系お教室では、民間資格を持つ「先生」が言う。


「子どもの食べるものをちゃんと考えるのが、母親の役目ですよ」
「たくさん抱っこしてスキンシップされた子は、精神が安定するんです」
「子どもは、親を選んで生まれてきたんだよ」


「いいこと」「すばらしいこと」「大切なこと」の顔をして降りかかってくるその言葉たちを私は呪った。

正論のつらいところは、「反論ができないこと」だ。だって相手は正しいから。間違っているのはこっちのような気がしてしまう。

こういう言葉を発する人に悪気はない。きっと悪い人でもないんだろうと思う。それがまた、厄介だ。逃げ場がない。四方八方から正論を打たれると、人は委縮し、三角座りで頭を抱えるしかなくなる。


借り物の言葉を、我が物顔で言う人。



松下幸之助や松浦弥太郎の「言葉」が人に刺さるのは、自分が経験してきたことに基づく生きた言葉だからだろう。

正論の反対は、自分にしかできない経験から出てきた「生きた言葉」だと思う。経験から生まれた言葉には熱がある。体温がある。借り物の言葉を我が物顔で軽く使う人を私は信用しない。


無意識にでも誰かを攻撃したり、自分の正しさを主張するために正論を振りかざすような賢い顔した馬鹿にはなりたくない。あほやと笑われても、自分の言葉で生きていたい。


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