
「誰かの1意見」や「みんな」の虚像に縛られていないか?
スキ
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「○○さんに◆◆と言われたんです」
「こういうことをしたら、まわりから××と言われたことがあって」
ビジネスの相談に乗っていると、よく出てくるセリフだ。
誰かに言われたことは、その「誰かのイチ意見」でしかない。
誰かに言われたことを、取り入れるかを決めるのは自分。

もちろん、それは「人の意見を聞くな」と言うことではない。
何事もまわりの反応を見ることは大事だろう。自分一人の頭で考えることなんて限界があるのだから。
だけど、人の意見を参考にすることと、それに振り回されることは違う。



何をしても、何か言ってくる人は必ずいる。
人に振り回されていると、何をするにも「だって○○さんが言ったから」になる。
○○さんは、私の人生に責任をとってくれない。家族でも親でもパートナーでもメンターでも師匠でもそうだ。

生きていたら、働いていたら、人と関わっていたら、
思い通りにならないことは、いっぱいある。
全て自分の意思次第ではないし、自分が決めたと思っていても、他のいろんな要素が関連しているから、思い通りになんかならない(思い通りになると思う方が怖い)。
だからこそ、自分の意思ではどうしようもないことがいっぱいあるからこそ、
「誰か」や「得体の知れない何か」に振り回されず、囚われ過ぎず、
自分は自分で決められるんだ、という選択肢と自由さを持っていたいなと思う。



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『キャッチコピーの教科書』6刷、『発信力を強化する「書く」「話す」サイクル』3刷等、4冊の著者。
「言葉で仕事をつくる」をテーマに、講座やセミナー、企業研修をしています。
HP:https://www.kotoba-works.com