「自分の言葉」を持つには、「伝わらない経験」をどれだけするか
自分の言葉で想いを伝えるためには、「伝わらない経験」をするのが一番だと思う。
☑自分のコミュニティ
☑いつもの質問の仕方
☑慣れ親しんだ関係
☑あれ、それ、ツーカーで伝わる間柄
☑何を言っても傷つけ合わないという信頼
がある人たち「ではない人」に自分の言葉がどれだけ伝わるだろうか。
そんなつもりで言ったんじゃない! VS なんでそんなこと言われなきゃいけないの!
「そんなつもりで言ったんじゃない」と悔しくなること。
相手の「言葉にしていないもの」から受け取りすぎてしまうこと。
そういう「わかり合えないエラー」が、じゃあどう伝えるかを工夫するきっかけになる。
安心で、傷つくことがなく、
いつもの言葉で
いつものコミュニケーションで
分かり合えているつもりになれる人
ではないところで
「伝わらない」という圧倒的経験をどれだけできるか。
自分を「居心地の悪い場所」へ連れ出そう
☑アウェイな経験、
☑マジョリティになる体験、
☑価値観が違う人との対話、
をどれだけ作れるかで、言葉の力を磨くし、胆力もつく。
人としての幅や深みも生まれるんだと思う。
自分を「いつもの場所」から、どれだけ連れ出せるか。
「居心地の悪さ」をあえて作れる人が、強いんだと思う。
ローカルルールは、一歩外では通用しない
会社には会社の、家族には家族の、友達同士には友達同士の、同じ学びの仲間には学びの仲間の、ローカルルールがある。
「これは当たり前でしょ」「人の話を聞くときはこうするものでしょ」「そんなことも知らないの?」
でもそれは、小さな世界の(その中の人たちが良かれと思っている)ルールである。
一歩外に出て、そのルールは通用しないという事態に直面した時に、「自分が分かってなかったんだ!」と思えるか「あの人は分かってない!」と怒るか。
自分が悪くもないし、相手も悪くない。自責でも他責でもない「自分と他者との刺激と反応」のもんだい。
コミュニケーションは、いつだって、そんなに簡単じゃないからおもしろい。
コミュニケーションは、「自責」でも「他責」でもない、人と人との「間」にある
コミュニケーションのエラーは、「相手が分かってない!」と他者を責める必要もないし、「うまくいえない自分が悪い」と自分を責める必要もない。
ただ、こちらの刺激に対して相手が反応した、という現象があるだけ。もしくは、あちらの刺激に対してこちらが反応をした。
こういう現象が起きているんだなー、とわかれば、自責も他責もない。
問題は、人と人との「間」にある。
あなたの言葉は「いつものお仲間」意外に、
伝わっていますか?
伝わる言葉の磨き方、
言葉で仕事をつくる方法などは
メールマガジンで
お伝えしています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?