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私はミッションに「感動するEC消費を作り続ける」を掲げているのだけど、毎日ECのニュースを追っていると、移り変わりの速さや、一斉に同じ方向を向いて個性が消されてしまっているような、変な違和感を感じることがある。

流行りのテイストで素敵な写真が並んでいるのだけど、どこのお店も同じように見えてしまう。流行ってこういうことなのかもしれないけど。

お金や時間を消費したとき、後味の悪いときと、余韻に浸りたいときがある。

後味の悪いときは、時間やお金を無駄にしてしまった感覚になる。衝動買いしちゃったけどよく考えたらコレがなくてもよかったなとか。時間に対して感じることもあるし、人に対して感じることもある。

余韻に浸りたくなるときは、その人と一緒に過ごせたことや、大切な人のために自分の時間やお金を使えたことを嬉しく思っているときに感じる。

自分の言葉を思い返してみえると、前者は”消費”と言うけど、後者は消費と言っていない。

とすれば、ミッションに掲げている”感動するEC消費"という言葉は、はたして正しいのだろうか?

買い物は、感動体験や悩み解決のためにされる行動だ。

買い物は楽しいものだけど、買い物の全てが楽しいわけではない。私たちは買い物体験のごく一部を切り取って、「楽しい」と感じている。

休日に家族で百貨店にいくとする。混んでいる駐車場に、レジにならむ長蛇の列。ランチはどこも混んでいて、お茶を飲むのも一苦労。だけど、家族との買い物は楽しい。お目当のモノが買えて嬉しそうにしている姿を見ると自分も嬉しくなるし、楽しくなってくる。

友人のためにプレゼントを選ぶとする。何日もかけて長時間スマホを眺め、ラッピングを確認して、メッセージカードに添える言葉を考える。やっぱり違うサイトにしようかと眺め続け、目が痛くなり肩も凝ってくる。驚くほど時間が奪われるけど、喜んでくれたらいいなと、渡す前から嬉しくなる。

リアルでもネットでも、誰かの喜ぶ姿のために時間やお金を消費して、買い物体験をしていくのが、健全な消費のなのだろう。



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