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成長に必要なのは、行動の積み重ね(2018/05/29の日記)

昨日は6年半働いた保険会社のオペレータの最終出社でした。

長男1歳の時から6年半。生保業界最大手のA社のオペレーターをしていました。 

最終日、私が最も苦手としているSVのSさんとの個別フィードバックタイムがありました。 (Sさんが嫌すぎる時期があり、心をシャットダウンし笑顔の仮面をつけるという術を身につけました)。 

やっとSさんと会わなくて済むという安堵感と、最後の最後、予想外に高い評価を貰っていたことに驚きと嬉しさを感じました。 

6年半前、長男出産前までいた旅行業界から、180度振り切った保険業界に行ったのは、今振り返ると不思議です。 

結婚して、子どもが生まれるまでいた旅行業界。 会社の中で最高ランクの海外ツアーの部署でヨーロッパの企画担当し、25ヶ国添乗し、自分ブランドで企画が作れる華やかな経験が出来ました。 

一方、私には旅行業しか出来ないと思っていた。 旅行業界しか知らない。旅行業しか出来ない。 それはある意味、絶望でした。コンプレックスでした。 

(正社員で働いていたクラブツーリズムを結婚退職した後は、弾けたように派遣と色んなバイトを掛け持ちして正社員時代の収入を越すというコントみたいな新婚時代もありw) 

そういった意味では、夫がIT業界で、起業してて、ベンチャー経営者目線の話を聞けるというのはとても恵まれた環境だったなと思います。 

なぜ産後、保険業界を選んだかというと、 結婚して言われるがままに入った生命保険について、長男の前に流産して手術した時に思った以上に給付金がおりて、悲しみの中にもお金が心を癒すきっかけになることを体験し「保険って面白いな、もっと詳しくなりたいな」と興味を持ったのです。(逆に帝王切開の時はそれほど。設計にも関心が) 

妊娠中から周りには「ファイナルシャルプランナーの資格を取ろうと思ってる」と言ってたのですが、あまりにも業界が違うので、周りも私本人も半分冗談でした。 

長男が生まれて一年間は専業主婦。 でもその一年は、長男5ヶ月の時に東日本大震災があり、私の価値観を大きく変えました。 

震災翌日に地域で親子コミュニティをmixiで立ち上げ40組の親子が集まる親子サークルでイベント企画運営をしました。地域で子育てをする覚悟と基盤が0歳台で出来ました。 

その親子コミュニティで出会ったママさん達は、育休中の人も専業主婦の人もいました。 

私は出産前に退職してたので、このまま専業主婦の道もあったのだけど、  

「私は、ワーキングマザーに嫉妬する自分が見える。保育園に預けて働くという選択肢があるのに、そこにトライしないのは人生経験値でいうと損する気がする」  

と私独自の謎思考で、誰よりも早く保活し、年度途中で空きが出た保育室に長男を預けることができました。 

保育室生活がスタートし、無職でいられる就活期間は限られています。贅沢なんか言っていられません。

 「正社員」「華やかな業界」そんなプライドは捨てて、「災害が起きた時でも徒歩1時間内で子ども達を迎えに行ける距離」「すっぴん、ジーパン、スニーカーでもOK(余計な出費を減らすため)」「対面接客しない」をポイントに、場所は新宿、保険業界のオペレータに絞って就活しました。

1週間で仕事を決めました。

 最初の担当ブースは、A社の問合わせ窓口で、新規資料請求を受け付けるのがミッション。

CMが流れるとその日1日中電話が爆発するような、そんな職場でした。

A社の販売中、新商品、全ての問合せに答えて、保険料の計算や貯蓄型保険の返戻金の計算をしたり、コンサル営業の側面も。

 加えてパートであっても席をあける(欠勤)が許される雰囲気ではなく、オペレーター同士で連絡先を交換して欠勤の代理を探すことが必須だったので、入ったばかりで知り合いがいない私は長男が熱でも休めない恐怖で両家の親に懇願し泣きながら出勤する日もありました。

 そして、その職場には、副業として、芸人や俳優、バンドマンやダンサーを目指す人たちがたくさんいました。もちろん主婦も。 

新規資料請求受付の順位が公開されて、私は効率的に資料請求に結びつけるというより問い合わせに対して寄り添いすぎて通話時間が長くて新規資料請求数が低く、評価はいまいちでした。

 「大卒で正社員で働いてたのに、、、」自分の出来なさに落ち込む日々でした。

その中で、私のプライドを支えてくれてたのはファイナンシャルプランナー2級取得のための勉強でした。

 「ただ何となくパートしているわけではない。ファイナンシャルプランナー2級をとって、お金のことに詳しくなるために、実践の場として保険会社のオペレーターを今はしているんだ」と自分に言い聞かせてました。

そうじゃないと、子どもを預けて働く気力が保てなかった。 

そのブースで一年半後、人件費削減のためブース自体が無くなることとなり、そのままオペレーター達は、今の保険金部へ移行しました。

 前の新規資料請求獲得のブースが攻めだとすると、今の保険金部のブースは守り。

保険金給付金の連絡を受け付ける業務に多くの同僚は辞めていきました。 

私は今のブースの方が合っていたようで、必要としている人の役に立てる実感がありました。 

癌、心筋梗塞、脳卒中、婦人科系の病気、その他初めて聞く病気や、大怪我での入院、手術。火災や自死。本当に様々なケースの受付をご本人、またご家族の方からお話を聞きました。生命保険の必要性と、定期的な保険内容の確認と見直しの重要性は声を大にして言いたい。私の場合、がん保険、医療保険が得意ですが。 

保険金部のオペレーターは、心を使う業務なところがあって、どっと疲れる日もあり、長男が3歳で幼稚園に入ってからは勤務日数、勤務時間の縛りから解放されて、無理しないシフトの組み方で継続し、長男の幼稚園のうちに第二子を出産しようと決めました。

次男妊娠の前も流産があり、この時は一人っ子でも充分幸せだからと気持ちの切り替えが早くなっていました。

幸いそんなに時期を開けず次男を妊娠、出産することができました。 

次男の育休中は、仕事への欲、自分がしたいこと、強みをものすごく考えて、保育・教育業界にいきたいなと思い始め、保育士試験を受験にトライし始めました。 あわせて、大学生起業した子達と出会い、初めてプロボノという言葉を知りました。

次男の育休中は、プロボノ広報業務で毎日が本当に刺激的でした。脳トレになったし、若者の価値観を知ることができて男子子育て中の大きな学び期間になりました。 そして、次男が1歳の時にオペレーターに復帰。

 長男の小1生活と学童生活をフォローしつつ、広報修行として一般社団法人のプロボノとなり、エシカル系アパレルのスタートアップのプロボノも始めて、2017年はプロボノイヤーでした。 

2018年に入って、プロボノから業務委託になるタイミングもあり、自分のやりたいことを改めて模索し始め、保険業界のことは大体分かったので、新しい業界で知識と経験を付けたいと思うようになり、Wantedly行脚に。 

トントン拍子に話が決まり、転職先の目処が立ったので先月末、退職の意向をマネージャーにお伝えし、今月は息子たちの体調不良で上手いこと有給を消化しつつ、本日が最終出社。 

大の苦手であったSVのSさんから、 「保険金部のブースになってから、花開いたよね。研修時の感想や提案などから、オペレーターではなくて研修担当や業務改善の仕事も向いていたんじゃないかなと思いました。」 と、個別フィードバックもらい、目をまん丸くしてしまいました。 

最終日で良かった。じゃないと、単純だから「はい喜んで!」と茨の道にいくとこだった。 

今回の退職は、ポジティブな理由ということもあり、とても円満に、応援される形でご挨拶してきました。 

なんだかんだで6年半。 このタイミングで動かないと、また6年半あっという間に経ちそうだった。 その時、私は45歳。 さて、動けるのだろうか?と想像したとき、「今でしょ!!」と、自分を鼓舞する自分がいました。

 “成長するために必要なのは、行動の積み重ね。” 

土曜日見学してきた転職先の大学生向けの就活支援イベントでのメッセージ。 38歳の私に、一番刺さってたかもしれませんよ💪 

#コンテンツ会議 #君のことばに救われた

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