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大学生時代に思い切って脳みそ切った話(前半)

こんにちは。@hirokonishimuraです。先日の記事「年収1,000万を捨てた理由」を沢山の方に読んで頂き嬉しいです。皆さん、大学時代はどうお過ごしでしたか?私はバリバリ文系で地味に生活していましたが、色々あってとてもレアな経験をしてしまいました。今回は私の大学生時代に脳手術を受けた話をしたいと思います。

この記事の後半はこちらです:「私」って何?脳手術を控えた疑問(後半)

大学時代

私はなんだかんだ言って、最終的には地元の州立大学に進学しました。本来は小さいリベラル・アーツ大学に進学するつもりだったのですが、何故か州立大学、しかも人学年4000人超のマンモス大学に。

子供の頃から体力がなかった私は大学に入っても比較的地味に生活してました。パーティーとか行かないし、お酒もドラッグも勧められもしないぐらい地味な大学生でした。友達はやれパーティー、やれイベント、やれプチ旅行!と忙しく走り回ってましたが、私は基本的に寮でドラマ見たりツイッターしたりして過ごしていました。

中学時代に鬱病、高校時代に躁鬱病と診断されていて、薬もずっと飲んでいました。体調管理もあまりできずに毎日がクラス、ご飯、勉強、寝る。で埋まっていました。

子供の頃から体が弱かったので、体調が少々悪くなってもあまり気に留めませんでした。半年以上の不眠症、食べ物が喉を通らない。「ああ、また鬱かな。」それぐらいにしか思ってませんでした。

大学3年生の終わりに癲癇を起こして救急病院に送られるまでは。

癲癇(Seizure Disorder)

癲癇ってなに?

てんかんが上記定義された病名である。てんかんの一回ごとの発作をてんかん発作( Seizure , Epileptic Seizure )という。てんかん発作は痙攣( Convulsion )であることが多い。これは全身または一部の筋肉の不随意かつ発作的収縮を示す症候名である。

英語で言うとSeizure DisorderとかEpilepsyですね。こればかりは英語の方が逆に解りやすいかも。

私は22歳になる2ヶ月前に大学のアパートで癲癇を起こして倒れているところをルームメートに発見されて救急病院に送られました。そこから何ヶ月もかけてテストやスキャンが行われ、22歳の誕生日数日後に診断が下されました。

Cerebral Arteriovenous Malformationー脳動静脈奇形

脳動静脈奇形 (AVM)

これこそ何のこっちゃ解りませんね。

脳動静脈奇形(のうどうじょうみゃくきけい、英: Cerebral arteriovenous malformation:AVM)は、10万人に1人と言われる脳の血管が動脈と静脈の異常吻合を生じている先天性疾患。動脈と静脈との異常吻合部にはナイダス nidus と呼ばれる異常血管塊が認められる。若年者のクモ膜下出血(Subarachnoid Hemorrhage)の原因として重要。

説明されても何言ってんねん?って思いますよね。私も実は診断されて一年経つまで理解してませんでした。診断されて半年て脳手術受けてるので、受けた時点で自分の診断を理解してなかったことになります(笑)

診断を受けて、子供の頃から偏頭痛持ちだったのもうなずけました。

Mayo Clinicの図を引用させていただきますとこんな感じです:

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つまり、本来は血管がどんどん小さく小さくなっていって血が流れていくところに鳥の巣みたいな感じで太い血管が育っちゃっている現象です。

こうなることで起こる事:

* 血管が太いので、血管の壁の厚みが薄くなる
* 血管が太いので、血が沢山流れてしまう
* 血管の壁が薄くなったところに血が沢山流れてしまうと爆発する(脳卒中)
* 他の場所から血を奪ってしまう

などなど色々あります。

22歳での死刑判決

まだ理由が解明されていない病気。数も少ない珍病。勿論聞いたこともない病名。英語だから?いや。違う。何語でも分からない。

一番怖かったのが、いつ脳卒中を起こすかわからなかった事。若いうちに見つかったので、一生で脳卒中が起こる確率が極めて高いと言われました。

22歳の大学生として「脳卒中で死ぬかもしれない。」なんて絶対に聞きたくない言葉です。

癲癇もいつ起こすかわからず、発作のたびに大怪我の可能性、脳卒中を起こす危険、死の覚悟、など色々ありました。

夜一人で大学の歩道を歩いていて発作を起こし、コンクリートに頭をぶつけて、人に見つけてもらうのが遅れたらそこで取り返しのつかない事になりかねない。

体力も薬の投与と共にどんどん落ちていき、クラスに行くのにも歩いていくのが困難なぐらい。クラス中では寝落ちないようにするのがやっと。それでも頑張れるだけ頑張って半年通ったのですが、最終的にセメスターも後3週間と言うところで手術を受けました。

毎晩「私は明日目覚めるのだろうか?明日もこのベットで寝れるのだろうか?」と考えながら眠りにおちました。

幸い、合計3回癲癇の発作を起こしましたが、全てカーペットの上で、人に囲まれていたのですぐに救急車を呼んでもらえ、脳卒中も起こさずに脳手術当日を迎えることが出来ました。

選択肢

私の選択肢は三つでした。

① 何もしない
② 薬でコントロールしてみる
③ 放射能治療を試みる
④ 脳を切り開いて脳手術する

何もしない。は不可能でした。もう癲癇の発作を起こした以上、何か手当をしないと生きていけない状態になっていました。

薬でコントロールしてみる、も無理。もう薬は目一杯飲んでいるのに癲癇はコントロール出来ていないし、そもそも根本的な問題そのものが取り除かれないと一生癲癇や脳卒中を起す危険と生きていかないといけない。

放射能治療は放射能を使って治療をすると言うこでの副作用への恐れがあり、両親からの反対があり、辞めました。その上、放射能治療は効果が見られるのに2〜5年間かかるので、それだけの期間を薬だけで乗り越えれるだけの気力も体力も私にはありませんでした。

そして残るが頭蓋骨をカチ割って、脳みそを直に触って血管をチョキチョキ切って治療すると言う脳手術でした。

まあ、選択肢と言ってもあまり選択肢はなかったですね。

2011年の12月、22歳と半年。私は脳手術を受けました。

手術「成功」とは

成功率75%。でもそれを言い換えると、失敗率25%

その失敗率には「記憶喪失」「精神病」「性格豹変」などは入っておらず、あくまでも「癲癇の発作を起こさない」「脳卒中を起こさない」「死なない」だけでした。

「私」と言う人格が壊れても、死ななければ成功。と言うことでした。

外科医には「私」と言う人格は別にどうでもよく、私の不安は気に留めてもらえませんでした。正直に言うと、人格は変わってます。記憶を少々飛びました。左脳がコントロールする体の右側は左に比べて少々弱いです。

でも、思いもよらず嬉しい事も。中学生の頃から患っていた数々の精神病(うつ病や躁鬱病)は全部このAVMの悪さだったようで、取り除いた途端に消えました。

手術の痕として脳に傷が入っているので、色々苦労はありましたが、うつ病や躁鬱病には比べ物にならないので、つくづく脳手術をしてよかったな。と思います。

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因みに、入院期間は四日です。日本では出産でも四日以上泊めてくれると聞きました。

三日目に「あなたのベット、次の患者さんの為にあけないといけないからもう退院よ。」と言われ、両親が「それはあんまりだ。まだトイレにもいけてないのに!」と抗議。一日伸びて四日目の朝に追い出されました。

流石アメリカ。



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