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お義父さん、お義母さんへ。

8月に77歳の誕生日を迎えた義母。
喜寿のお祝いで、義姉家族(4人)と、
我が家(5人)と、義母の
合計10人で
久しぶりに食事会をしました。

567で、帰省しても
一緒に食事はせずに、
挨拶やお墓参りだけして終わり。
滞在時間も短いことが多く、
一人暮らしの義母は
ずいぶん寂しい想いをしていたと思う。

今も感染拡大は続いているが
感染対策をして集まることに。

お店側も
高齢者がいるということも考慮して下さり、
お部屋を貸し切りにして下さったので
安心して食事を
楽しませてもらった。

当日のお祝いご飯のご紹介😊

前菜です。あと、お刺身が出たけど写真忘れたー💦
ノンアルコールドリンク(ゆず味)
スープ
サラダ
魚料理
肉料理
ご飯とお吸い物
デザート
珈琲

結婚して23年が過ぎた。
ということは、長男の嫁になって23年。
本当に申し訳ないくらい
ダメ嫁なので
きっと呆れていることと思う。

私は結婚して、
常に
夫に、こう言っていた。

「妻」としても
「嫁」としても
イマイチだと思うけど
「母」としては頑張っていきます、と。

末っ子が二歳になる前に、
義父が大病をした。
大学病院のICUに入り、
予断を許さない日々が続いた。

夫と私は、毎日
仕事が終わったら、
高速(道路)にのり、
大学病院に通った。

義父というより、
義母が心配だったのもある。

義父は、もう、病院の先生方に
(治療を)おまかせするしかない。
義母の方が気持ちが
まいっているのではないかと
思ったから。

義母に会い、話相手になり、
夜中に大学病院を出て、
また自宅に戻り、
朝になれば仕事に行き、
夕方、帰宅したら
病院へ、という日々が続いた。

そんな疲弊する毎日の中、
とうとう長女(当時4歳だったと思う。)に
異変が。
謎の腹痛。
小児科受診、検査をしても
異常はない。
小児科の先生に
「何か強いストレスはありませんか?」と
言われた。

私は、
「あぁ、もうこの生活は無理だ」と判断し、
夫にこう伝えた。

「あなたが毎日病院に行くことは止めない。
お金もいくらかかってもいい。
(※とにかく毎日の往復の高速(道路)代と
ガソリン代がすごくかかっていた。)
でも、
私はもう義父の病院には行きません。
子どもたちと自宅で過ごします。
子どもたちは、もう限界です。」と。

夫は「分かった」と言ってくれたけれど、
少しだけ、寂しそうな感じだった。

夫の父親が
もしかしたら、
今、この瞬間に
息を引き取るかもしれない、
そんなときに
長男の嫁である私が
『病院には行かない宣言』をしたのだから。

その後、日常を取り戻した長女の
腹痛はあっという間に消えた。

そして、義父も
病院の先生方のおかげで
一命を取り留めることが出来た。

今でもこのときのことを
ふっと思い出すことがある。

天国のお義父さん、
あの時、急に来なくなった嫁にどう思いましたか?
冷たいやつだな、と思ったかもしれませんね。
でも、お義父さんは優しいから
許してくれたかな。
結婚してすぐに、
お義父さんが作ってくれた酢豚。
大きな中華鍋で
ドーンと出てきたときは
ちょっとだけ驚きました。
皆で、取り合うようにして食べましたね。
とっても美味しかったです。

お義母さん、
いつも頑張ってメールを送ってくれて
ありがとうございます。
仕事中は、
なかなかすぐに返信出来ずに
心配させてしまうけど、
少しだけ時間を下さいね。
お義母さん、
いつも美味しい果物や野菜を
送ってくれてありがとうございます。
ありがたく頂いています。
してもらうばかりで頼りにならない嫁ですが
これからもよろしくお願いします。
また皆で一緒に美味しいもの、食べましょうね。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。ご縁ありましたらエッセイ本も読んで頂けたら嬉しいです💛

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