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自分の意見をバンバン言える世の中になれば、天才はもっと生まれるかもれしれない?!

私は日本のテレビもSNSもあまり見ないので、彼のことを全く知りませんでした。
本当にごめんなさい、って感じです。

成田悠輔さん。

先週の『日曜日の初耳学』をTverで観て初めて知りました。
今、めちゃくちゃ有名な人で、みんなが絶賛しているのだとか。
話を聞いて、とっても頷けました。

ちょっと悲しいと思ったのは、こういう凄い人は、日本に留まらずに海外に行っちゃうんですよねぇ〜。

理由は、彼が言っていたことが全てなんだと思います。

「英語には『Agree to Disagree』という言葉がある」

日本語に訳すと「意見の不一致があることを認める」ということ。

自分は他人と違うところがあって、それで良いじゃないか、と彼は思って生きているんだと思うのですが、それは日本社会では許してもらえません。

例えば、ちょっと目上の人が言った意見に反論でもしようものなら、キレられて挙句には、

「バカなのに意見するんじゃない!」

って言われたりします。
これ、実際に私が若い頃、オヤジから言われたセリフです。
若い女に意見されたのが、腹立ったようです。

世代も違うし、性別も違う。
同じ意見のはずがないですし、違って当たり前。
にもかかわらず、同意しなかったせいでバカ呼ばわりでした。
失笑です。

私は、自分の意見があった方がいいと思うのです。
それが自分の行動に繋がります。
誰かに言われたことや、誰から良いと思われることをやっているだけでも良いのでしょうけれど、せっかく自分の人生を歩んでいるのですから、自分のしたいようにした方がいいと思うのです。

誰がなんと言おうとも、誰になんと思われようとも。

女性の友人と食事をすると、たまに思うことがあるんです。

なんでこんな当たり障りのない話ばかりするのだろう、と。

そんなことを思っていたら、友人がこんなことを言いました。

日本人は全ての人が同じ意見だと思い込んでいるから、もし違う意見を言ったとしたら、「それは間違いだ」って論破してこようとするじゃない。
違う意見の間には大きな溝があるわけで、いくら議論しても縮まることはあるにせよ、その溝は絶対埋まらないのに、日本人は埋めようとする。でも埋めようとすればするほどお互いが不愉快になるわけよ。
で、その不愉快な思いは誰かが回収してくれればいいんだけど、結局結論が出ないから誰も回収できずにその場に残っちゃって、後味が悪くなるから、もう二度とあいつとは話さない、なんてことになっちゃって、ますます議論しなくなるのよ。
女性はそのあたり頭良いから、最初から「議論する」ことを避けて当たり障りのない話をしようとするんじゃないかと思うのよね。

これ、模範解答じゃありません?!

でもね、こんなことをしていると、どんどん自分の意見がなくなっちゃいます。
そして、他人と議論しないと自分の立ち位置がわからなくなるわけですよ。
自分の立ち位置がわからないと、自分が今何を成すべきかわからなくなっていっちゃうんです。

これが一番危険だと思うのです。

だから、自分の意見をどんどん言うことができる社会になれば良いなぁ、と思うのですが、それには絶対的にこのことが必要になってくるのです。

Agree to Disagree(意見の不一致があることを認める)

アメリカって、建国して250年も経ってないのです。
そして、ほとんどの人が世界中から来ている人なので、意見が違って当たり前なんです。
だから、自分は他人と違っていて当たり前。
他人は違う意見を持っているから、他人の意見も聞いてみたい、というのもあって、議論するのが好きなのかもしれません。

ちなみに、フランス人も議論が大好きです。
でも彼らが自分の意見を言う理由は、自分がどれだけそのことを知っているのだと、他人に言いたいだけなんじゃないかと、ちょっと意地悪な見方をしてしまうこともありますが・・・(笑)

成田さんの話に戻すと、「日曜日の初耳学」では、「コミュニケーションをすることや生きていくことは、人を傷つけること」だと言っていました。

彼によると・・・

傷つけないのが良いのなら、何も言わず、何もやらないのが一番
でも、傷つけることを避けてしまうと、人間が切り開けたはずのフロンティアが切り拓けない

新しいことしたい、と思っている成田さんは、むしろ他人と違うことを望んでいるような気がします。
だからこそ、自分が他人と違っていても全く気にもされないアメリカは、彼にとって居心地がいい場所なのかもしれません。

他人と違う意見を持っていてもそれでいい、と言える世の中になれば、もっともっと天才がこの日本から出てくる気がするのですが、皆さんはどう思われますか?

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