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失くしたノートが教えてくれたこと。

今日、私はとっても大切なものを失くした。

それは一冊の『ノート』。

たかがノート、されどノート。

そのノートはこれまで読んできた本の要約だったり、ときめいた言葉を書き留めたものだった。

心に残しておきたい、忘れたくない言葉、考え方がぎっしり詰め込まれた、私の宝物。記入する時は絶対にお気に入りの決まったペンを使うことがマイルールだった。

そのノートを見るだけでも、とっても心が躍ったし、使う時は、決まってひとりきりで、自由で、なんの制限もなく、誰の目を気にすることなく、心から楽しんで、言葉や文章、新しい知識を味わって感じている時ばかりだった。

失くしたことがわかった時、とっても絶望的で、その後の予定なんかももうどうでもよくなった。自分の大事な相棒が突然消えてしまった、そんな感覚だった。

同時に、自分の心が見知らぬ誰かに、勝手に覗き込まれるんじゃないかという不安も感じた。そう、あのノートは私の心の全てをオープンにした、物質的な『わたし』だった。

日記帳では無く、決して人に見せてはいけない物が書かれている訳でもないけれど、でも私の心の中が全て文字となって表れている、そんなノート。

本当に、本当に、悲しかったし、今もすっごく、落ち込んでいる。

私はこれまでに無いぐらい、あのノートの事を考えた。要約した本を思い出し、内容を記憶の底の方から引っ張り出しながら、気づけば、本棚でその本達を再び手に取っている自分がいた。

そしてまたパラパラとその本のページをめくり、うっすらとモノクロだった本の内容に、だんだんと鮮やかな色がついていく感覚になった。そう、かつて感銘を受けた本に、再び心を動かされていたのだ。

いま私の手元にノートは無いけれど、そのノートに書かれていた事はまだ私の身体には残っていて、なんなら再び、そこでの気づきや言葉達が、私のなかで生き直している気がした。

ノートを失くしたという事実は、やっぱり悲しいけれど、ノートに記録していた事実は、全然なくなっていなかった。私が覚え続けている限りは、ずっとずっと身体の中で生き続けていくんだろうな。

忘れないように記録することの大事さは、痛いぐらいに知っているけれど、忘れないようにするために記憶し続けることの大事さも、もっともっと大事なんだと改めて感じた経験だったな。

記憶に残すために必要なことって、その時、いかに自分の五感が洗練されているかどうかな気がする。

目に見える景色、聞こえる音、その場の香り、肌で感じる感触、その時に一緒に居た人との会話

どれも記憶をより鮮明に残し続けてくれて、さらには思い出させてくれる大事なヒントなんだと思う。

自分の五感をシンプルに研ぎ澄ませること、これが大事なものを記憶し続けることにとって、とても大事なんじゃないかなって。

だからかな、非日常的な旅の思い出はずっと鮮明に残っているのは。あの瞬間は、全五感が喜びながらその場面を吸収しようとしているからこそ。

忘れたくない瞬間が来たら、その時はひと呼吸置いて、煩悩ともそっとさよならして、まっさらな私で、精一杯感じよう。

そのために出来ることってなんだろう?

『自分に余裕があること』『今に集中すること』すぐに思い浮かんだのはこれ。

覚えておきたいから、感じ続けていたいから、そのために自分を磨きつづけたい。そのためなら、どんな努力も厭わないです。

ありがとう、私の失くしたノート。ごめんね、記録した言葉たち。。でも大丈夫!あなた達のことは、全部記憶しているからね。

秋分の日の不思議な出来事の記録と記憶。

Hiroko

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