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『モモ』感想

『モモ』ミヒャエル・エンデ/岩波少年文庫

実はこれまで『モモ』を読んだことがありませんでした。
本が好きでも必ずしも名作と言われる本を読んだことがあるわけではないし、映画が好きでも名画の全てを観ているわけでもない。
そういうひとはきっと世にたくさんいるだろう(と思う)けれども、本が好きでタイムトラベルもの(最近はタイムリープって言うのか?)が好きで、なのに『モモ』を読んだことがないのはさすがに数少ないんじゃないかと思う。
なんでこれまで読んでいなかったかといえば……特に理由はないんですよね。別に避けてたわけでもない。単に子供のころからこれまでずっと、自分の周囲にミヒャエル・エンデの本がなかっただけ。

確か従姉妹が『モモ』が好きだと言っていたのを聞いたことはあります。でもこれまで読んだことはありませんでした。
私にとってはミヒャエル・エンデの本全般が、手が届きそうなのに何故か手に届くところになかったのです。

そういうわけで、タイトルとタイムトラベルものだということくらいは知っているけれどちょっと遠い本だった『モモ』を、ついに手に取ってみたのです。
そうして読んでみてびっくりでした。これ、タイムトラベルものでありディストピアものでもあるんですね。
ならば私自身が子供のころに読んでもあまり響かなかったかも。響かなかったというか、怖い本だと思って楽しめなかった気がする。

私は子供のころは怖いものが本当に苦手だったんですよね。それはホラーという意味だけでなく、事件が起こる(=人が死ぬ)から刑事ものも駄目。
時代劇はだいじょうぶだったけど、あれは時代劇だけに人が死ぬシーンでも自分とは違うところのものだと思えたからだと思う。現代劇である刑事ものの人死には本当に怖かった。

『モモ』は人は死なないけれどだんだんと変容していく世の中の描写はまさにディストピアもので、たぶん子供のころの私はその世界は怖いと思う。
描かれた世界が私が子供のころと年代が近いし、いろんな描写を見るに遠い世界ではなく、自分が今住んでいる世界とあまりかけ離れているわけではないのも、怖さを助長している。
だからきっと子供のころに読んだなら、怖いという気持ちが先に立って面白いと思うところまでたどり着けなかったんじゃないかと思うのです。

そういうわけで、大人になってから手に取った『モモ』の感想です。

私もずいぶんくたびれた大人になったなあと思ったのは、ここに出てくる大人たち、ことに最初の方に出てくる床屋さんがとても羨ましく思えたからでした。
一生懸命働き、けれど働き過ぎるわけではなく、自分の仕事に誇りを持ち、決して裕福ではないけれど日々に満足して生きている床屋さんが、私にはとても眩しく羨ましく思えました。
私もこんなふうに働きたいなあ、と。
他の人よりはずいぶん遅いペースだけれど、丁寧に自分のペースでゆっくりゆっくり着実に仕事をこなすベッポもいい。決してはやっているわけではないけれど、常連がついている居心地の良い酒場を営むニノもいい。
みんな、周囲に流されるのではなくしっかり自分の足で立って生きているという感じがするのです。
夢に生きているジジもまた。
そんな彼らが灰色の男たちにとらわれ時を節約して生きていくことの恐ろしさ。

最近とみに、このままずっときついきついと思いながら働き続けていくのかな、なんて考えることが多くなっていたので余計に怖かった。

なのでモモは私にとってもある意味希望の星でした。
周囲がどれだけあくせくして自分のことすら顧みる余裕がなくなったときでも、変わらずにそこにいるという素晴らしさ。
別にモモは意識して変わらずにいるわけではないんですよね。様々なことが重なり、巻き込まれていないだけ。それに、モモだってもしかして真正面から巻き込まれてしまったら、周囲と同じようになってしまっていたかも知れない。

モモは確かに特別だけれど、同じクラスや同じ学校、はたまた同じ塾や習い事にひとりやふたりいるような、子供のころからしっかり自分を持っている子供って感じがするのです。
どこかの言い回しを借りれば、手が届くところにいる特別な子。
大きな世界で見ると唯一ではないかも知れないけれど、私たちのいつも見ている世界の中では確かに特別な子。
この物語の世界ではモモは唯一だけれど、たとえばこれが私たちのいる市で起こったことなら、たぶん友達の友達の友達くらいには私たちの世界のモモがいるかも知れない。
そう感じるくらいには、手の届く特別さ。

どうしてそう思うかと言えば、モモが普段考えていることは決して特別なことではないから。けれどモモは自分の中にブレない指標を持っていて、流されることがない。そしてそれが良いんじゃないかと思います。

たとえばモモが「私が世界を救わなければ!」と意識高く突き進んでいく正義の子だったら、モモは唯一無二で光り輝くような神性をうちに湛えた特別な子なんだろうけど、共感は得られなかったと思う。
モモはそうではなくて、特別ではあるけれど私たちの知っている世界、私たちの周囲にもいそうなちょっと特別な子。だからこそ、普通の子である私達にも共感することがたくさんあると思うのです。

『モモ』に出てくる登場人物で私が好きなのは、マイスター・ホラ。そしてジジでした。

マイスター・ホラは時の番人とでも言えば良いんでしょうか。時を司っているわけではないけれど、あらゆる時を知っている人。
モモがマイスター・ホラのところで見た「花」は私も一度見てみたい。一度に一輪しか咲かないけれど、一度として同じ花を咲かせることのないとても美しい花。そんな花が私の中にもきっとあるのだと思うとわくわくします。

ジジは夢に生きる人。たぶん今私が生きている世界では、彼が生きていくのはとても難しいと思う。
けれど、彼のような人はきっとどこにもいると思うのです。
その夢を活かす職業に就いていれば良いけれど、もしかしてそんな彼らのうちの一人が私のような、いわゆるサラリーマンと呼ばれるような職業についているとしたら、ちょっと心配。

そしてジジが語る劇中劇とでも言うのでしょうか、ジロラモ王子とモモ姫の話がとても好きでした。
私は童話や民話や神話が大好きで、ジロラモ王子とモモ姫の話も読んでいて楽しくて楽しくて。
ジジの語る話をもっとたくさん聞きたかったな。

もうひとつ、私が読んでいて楽しかったのは、訳者さんが書いている後書きです。
訳者さんはミヒャエル・エンデと家族ぐるみのお付き合いのあった方。それというのもミヒャエル・エンデの奥さんが日本人で、かつ、『果てしない物語』の訳者さんだったから。
なので、ミヒャエル・エンデ自身のことをちゃんと知っている方で、そういう方の書かれたエンデのことが読んでいてとても楽しかったです。

『モモ』は、童話のようにきらきらとした心湧きたつところ、ディストピア小説のようにグレーの重苦しいところ、そうしてマイスター・ホラの館のように美しくも哲学的なところ。
子供向けに書かれていながら、大人が読んでもなるほどねと頷いたり、先が気になってどんどんページをめくったり。そんな楽しい時間を過ごした本でした。

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