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『空棺の烏』感想

『空棺の烏』阿部智里 文藝春秋社

『空棺の烏』阿部智里/文藝春秋社(表紙画像は版元ドットコム様より)

舞台はこれまでとガラッと変わって勁草院けいそういん。山内宗家を護る山内衆、要は近衛兵の養成所のようなところですね。
主人公が雪哉なのは変わりませんが、新たな登場人物がかなり増えました。主に雪哉周辺人物として、茂丸、千早、市柳いちりゅう、真赭の薄の弟の明留あける。南橘家の公近きみちか
舞台が若宮の周辺から勁草院へ変わったこと、登場人物が増えたこと、そしてその登場人物が雪哉と同年代、つまり十代の若者がほとんどということで、お話の雰囲気は大きく変わりました。が、一番の違いはやはり雪哉じゃないかと思います。
これまでは負けず嫌いから、そして生まれ故郷である垂氷たるひ郷を護るために一生懸命やることはあったものの、流されて仕方なく、という感じが強かった雪哉ですが、今回勁草院に来たのは自分の意思です。
若宮を護るために必要な力を手に入れるため、雪哉はここに来たのです。

誰の視点で見るかで全く話が違ってくる、というのはこの巻でも引き継がれていました。
平民であり、やはり生まれ故郷を護るためにやってきた茂丸。若宮を護るため、そして西家のためにやってきた西家本家の明留。別に宗家を護るつもりなんてこれっぽっちもないけれどいろんな事情から断るという選択肢のなかった平民(小作人)の千早。彼らよりも一年早く勁草院に入った北領は風巻しまき郷の郷長家三男坊の市柳。南領の有力貴族の息子の公親。
武人が多い地であることもあり、北領出身者が多いようです。とはいえ、雪哉とこの四人、そして市柳と同期の公近以外はあまり出番は多くない。
ですが、これだけでも、平民、平民ではあるけれど奴隷に近い扱いを受ける小作人、地方貴族、中央貴族、中央貴族のなかでもその上下関係があります。
また、その他に勁草院の院士(教官)視点もある。
立場や地位の違いがあり、そこに東、西、南、北と各領の考え方や利害まで絡んでくるのですから、そりゃあ考え方も価値観もまるでちがいます。
作中では、あくまでその時点での語り手の視点で話が進んでいくので、読者としてはとてももどかしい。
これまでのお話で、私たちは若宮の人となり、若宮の兄・長束なつか様の人となり、彼らと近しい人たちの考え方などがわかっているのに、勁草院に集う人々が必ずしもそれをわかっているわけではなく、自分たちの考えでいろいろ言ったりしているのですから。
そのうえ登場人物のほとんどはまだ十代で、それよりもずいぶん年を重ねている自分にはもどかしかったり、腹立たしかったり、微笑ましかったり、気恥ずかしかったり、そんないろんな感情も呼び起こされるので、これは紙の本ではなくAudibleで聴いていて良かったな、とつくづく思いました。たぶん紙の本なら共感性羞恥で途中で読むの止まってる。

それにしても、雪哉は最初に垂氷郷を出てきたときからすると、ずいぶんと遠いところに来たんだな、と思います。
地理的な意味ではなくて、精神的な意味で。成長もしていますが、その方向性には大いに疑問はある。
が、もともとの素質、生い立ち、若宮と出会い彼が決意したこと、いろんなものが綯い交ぜになって、雪哉自身が「そうあろう」としたことは若宮の進むべき道には必要なんだろうな。
物語の後半、雪哉の目指すものが明らかになったときには、これまでずっと雪哉を見てきたからというだけで雪哉を支持することはできないと言う人もいるかもしれない。
でも、長束様の側近の路近ろこんが面白がりつつもそこに乗っているのは、その目指す道が長束様の目指す道と同じ方向だからなんでしょう。長束様の意思に関わらず。
路近と雪哉はそういう意味ではとてもよく似ている。
主の目指す道を行くために、主の目指すところにたどり着くために、その過程で主が本心ではやりたくはないことも厭わずやる側近。主が嫌がるかもしれないけれどもそれを口にし、態度で示し、なんなら自分が率先して汚いことでもやっていく。
端から見ると冷血漢にも見えるけれども、二人とも主のためという一本通った筋があり、他人から罵られても決めたことは遂行する。

登場したときにはぼんくらと言われていて、若宮のところに行ってからもまだ抑えている部分があった雪哉が、自分の持っている能力や考えを手加減なしでさらけ出してぶつけてくるのがこの勁草院という場所で、『空棺の烏』という物語なんだろうなと思います。
この先の雪哉の進む道を暗示している話なんだろうな、と。

そういう重たいあれこれはちょっと置いておいて、ものすっごくツボにはまったのが千早と明留です。
平民の中でもさらにこき使われる立場の小作人の子で貴族を憎んでいる千早と、貴族の中の貴族で輝かしい将来が約束されている、そしてそのために努力もしている明留。正反対で毒づき合っている二人とか、もう私の好みのツボを突きまくってくるの最高です。
別に二人が仲が良いわけではないけど、最初に仲良くなった雪哉と茂丸、いろいろとあって彼らと一緒に過ごさざるを得なくなった千早、別に一緒に過ごさなくても良いけど同期だしなんだかんだと結果的に一緒に過ごすことになった明留という感じで、雪哉と茂丸が仲良くてつるんでるから、自然と千早と明留が一緒にならざるを得ないんですよね。
犬猿の仲っぽくて顔を合わせると喧嘩ばっかりしているけど心の底の方では互いにそれなりに認めてる、とかいう二人に私は弱いんだ。

そういうわけで『空棺の烏』。八咫烏シリーズ第一部ももうすぐ終章に近づいていますが、ここに至って次巻への引きがとんでもなくなってきました。
週刊の雑誌じゃないんだから、この引きで数ヶ月待つのってきつくないですか?
遅れて手をつけたおかげで立て続けに読める環境で良かったなぁ、とつくづく思いました。

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