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『弥栄の烏』感想

『弥栄の烏』阿部智里 文藝春秋社

『弥栄の烏』阿部智里/文藝春秋社(表紙画像は版元ドットコム様より)

『玉依姫』で話のあらかたの行き先はわかっていましたが、それにしてもなんというかもう……。という感じでした。あのとき山神の怒りを受けたのは誰だろうと恐る恐る聞いていたのですが、そうか……。確かに、主要登場人物が全員うまいこと助かるなんてこのお話ではまずありえませんが、よりによってその人?と暗澹たる気持ちにもなりました。本当に容赦ないな。
あのとき被害に遭ったのが別の人ならば、たぶん今後が変わるんだろうなと思う。
残された者の苦しみ悲しみは、それが誰であろうが重いものだけれど、残された人がどのような道を選ぶか、選んだ道をちゃんと全うできるか、というようなことはずいぶんと違うはず。
そう思わざるを得ないのです。

そしてやっぱり雪哉ですよ。『空棺の烏』でその片鱗は示されていましたが、ここでよりくっきりと行き先が示されたというか……。
つまりオーベルシュタインなんだな、とわかる人にはわかる感想を抱いてしまいました。
銀河英雄伝説のラインハルト様の参謀ですね。
オーベルシュタインは自分が仕えるに値する主君を探し、自らラインハルト様を選んだので、自分の思う正道からラインハルト様が外れるようなことをするとその部分を容赦なく突いてきましたが、雪哉はそういう意味では違う。
雪哉の場合、まず若宮殿下があり、若宮殿下が山内をつつがなく治められるよう、山内に安寧がもたらされるよう願い、そこに至る最短距離を取ろうとする。だからそのために必要な犠牲は切り捨てる。決して、全てのものが幸福になる、誰も切り捨てない、といった理想論にはよらない。
最大多数の最大幸福を求めるがゆえに、そのときに出る犠牲は厭わないし、そういった感情は切り捨てる。若宮殿下がそれをできないのならば(実際、金烏にはできないのですが)、自分がそれをやる。
非道と罵られようとも構わず、主君に嘆かれようとも歩みを止めず、目指すべき最短の道を進む、という意味合いにおいて、雪哉はオーベルシュタインのようだと思いました。

正直、この話の感想ってとても書きづらい。なかなか言葉が出てこないんですよね。
容赦ないとか、そんなふうな苦い言葉しか出てこない。

そんななか明るい話といえば若宮殿下と浜木綿に御子ができたことかな。
あの夫婦は二人ともにわかってないようですが、要は初恋を実らせた二人なので。

本屋さんで八咫烏シリーズ第二部を見ると、帯には不穏なことしか書いていないので行く先が怖いです。
が、これにていったん閉幕。次は番外編に進みます。

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