見出し画像

『英国古典推理小説集』感想

『英国古典推理小説集』 佐々木 徹 編訳/岩波書店

「殺人があったのは二十二年前の今日――」。ディケンズ『バーナビー・ラッジ』とポーによるその書評、英国最初の長篇推理小説と言える「ノッティング・ヒルの謎」を含む、古典的傑作八篇を収録(本邦初訳を含む)。読み進むにつれて、推理小説という形式の洗練されていく過程がおのずと浮かび上がる、画期的な選集。(岩波書店サイトの作品ページより)

なんとなーく気になって手に取りましたが、岩波と知ってびっくりしました。岩波もこういう本を出すのかー、知らなかった。

収録作は以下のとおり。
・『バーナビー・ラッジ』第一章より(チャールズ・ディケンズ)
 (付)エドガー・アラン・ポーによる書評
・有罪か無罪か(ウォーターズ)
・七番の謎(ヘンリー・ウッド夫人)
・誰がゼビディーを殺したか(ウィルキー・コリンズ)
・引き抜かれた短剣(キャサリン・ルイーザ・パーキス)
・イズリアル・ガウの名誉(G・K・チェスタトン)
・オターモゥル氏の手(トマス・バーク)
・ノッティング・ヒルの謎(チャールズ・フィーリクス)

私はどれも読んだことがなかったので、新鮮に楽しめました。
古典推理小説集と銘打っているだけあって、推理小説黎明期頃からの作品が多かったようですね。でもこのラインナップにチェスタトンが入っているのが個人的には意外。
今から見ると「古典」ですが、チェスタトンはもうちょっと下った時代なのかと思っていました。
が、そもそもコナン・ドイルが推理小説のかなり早い時期なんですよね。ホームズとワトソンという探偵と助手の型があんなに早い時期からできていたのかと思うとびっくり。
以下、なるべくざっくりと各作品について書いていきます。


『バーナビー・ラッジ』第一章より(チャールズ・ディケンズ)
 (付)エドガー・アラン・ポーによる書評

ディケンズの『バーナビー・ラッジ』は推理小説というわけではないですが、『バーナビー・ラッジ』の中に一部そういうふうにも読めるエピソードがあり、エドガー・アラン・ポーがその部分について書評を書いているのです。この小説集では、ポーの書評も含め掲載されています。
というのも、ポーは言わずと知れた近代推理小説の開祖とみなされている人物。
江戸川乱歩の筆名もエドガー・アラン・ポーから来ていますもんね。
そんな方がディケンズの書評をしているなんて、確かにこれはとても気になる。
だがしかし、『バーナビー・ラッジ』は雑誌に連載されていた作品であり、ポーは連載途中からミステリめいた部分の書評をしています。
なので、もしかしてディケンズはそれを気にして続きを書くのをためらったり、筋が変わったりしたのでは?
そもそもまだこの本を読んでいない人にとってはめちゃくちゃ重要な文をネタバレしているのでは?
そんな心配をしてしまうほどに、このミステリ部分はこういうことなのではないか?などとガンガン書いているのです。

けれどこの書評、というか、この小説集における『バーナビーラッジ』の扱いでちょっと気になったことがあります。
私は作家は小説(や詩や俳句や短歌や散文やつまりその作品)で語るものだと思っています。必ずしも登場人物に自分の思っていることや信条などを語らせなくても、それはにじみ出てくるものだと思ってる。
ただ、登場人物は作者が生み出したものではありますが作者そのものではないですよね。作者の考えていることそのものを言っている場合もあれば。もしかしたら作者の考えとは真逆のことを言っていることもあるかもしれない。そしてその作品世界を壊さないよう、作者は声高に主張しない。
まぁたいていの場合は。

でも書評という形で自分の考えやなにかを直接的にあらわすことと較べたら、作家の言いたいことは当然ながら伝わりにくい。
作品は作者が登場人物の言動を描くものですが、書評は自分の考えを直接的に述べるもの。
なのでどうしても書評部分が強く感じられるんですよね。
実際、私は『バーナビー・ラッジ』そのものよりも書評のポーの言葉の方が印象深くなってるわけで。
というのも、ポーの書評は結構厳しいのです。まだ推理ものが確立してはいない時期のはずなのに、フェアな描写などにとても厳しい。
その厳しさにどうしても引きずられてしまう。
ポーの書評を読む機会なんてめったに得られないことなので、掲載してくれてありがたいと思う反面、作品そのものをもっと楽しみたかったとも思いました。

「有罪か無罪か」(ウォーターズ)

作品集『ある警察官の回想』(1856年)収録。
資産家の老人が屋敷を留守にしている間に、邸に住まうメイドが殺され金品が奪われた。疑われたのは被害者の甥。果たして彼は有罪か無罪か、というお話を事件を調べる警官を語り手として描いた作品。

「七番の謎」(ヘンリー・ウッド夫人)

連作短編集《ジョニー・ラドロー》シリーズの一つ。
情景が思い浮かぶような文章で好き。語り手であるジョニー目線で、描かれるメイドが魅力的だと思いました。しかしやるせない。
動機としては十分。なのにスペインの、それも下級階層の人の血を引く女性のヒステリー、というふうに描かれているのは違う意味でやるせない。
私としては牛乳屋の息子がムカついた。裁判では、メイドのふたりのどちらも自分と結婚する階層ではないと思うと言っていたけれど、そこにそんなに明確な上下ってあるのかな。
階級社会難しい。

「誰がゼビディーを殺したか」(ウィルキー・コリンズ)

こちらもなんともやるせないお話だと思いました。
同情する部分はあれどやはり許せない、許しては駄目な一線を越えてしまった相手に対し、どのように振舞うか。
自分ならどうするだろうと考えるけれど、答えはいまだ出ていません。

「引き抜かれた短剣」(キャサリン・ルイーザ・パーキス)

ダイヤー氏の事務所に勤務する女性探偵ラヴデイ・ブルックが活躍するシリーズの一つ。
ラヴデイのお話をもっとたくさん読みたいと思いました。
女性が世の中で活躍するなんて考えられもしなかった時代の女性探偵は強かった。立ち向かい、打ち倒すというよりも、やわらかに受け止め受け流し、けれど結局自分の思うことを成し遂げるしたたかさ。
その強さをもっと読んでみたいです。

「イズリアル・ガウの名誉」(G・K・チェスタトン)

ブラウン神父もの。
狂気に満ちた家系の末裔であるグレンガイル伯爵は失踪していたが、国外へ出た形跡はない。果たして彼はどこにいるのか。
ブラウン神父はカトリックですが、土着の宗教をほのめかす部分があったりと少しばかりオカルト的なお話。
私はむしろその土着の宗教的なものが好きなので、カトリックのブラウン神父がどうするのか、ちょっとばかりはらはらしました。

「オターモゥル氏の手」(トマス・バーク)

切り裂きジャックをモデルにしたと思われる、目撃者のいない連続殺人の犯人を追うお話。
これはミステリというよりスリラーになるのかな。
これ好き。最後の一文までめちゃくちゃ好みの作品でした。早く先の文章を読みたくて仕方がなかった。

「ノッティング・ヒルの謎」(チャールズ・フィーリクス)

直接的に描くのではなく、手紙や証言を丁寧に積み重ねていき、何があったかを浮かび上がらせるという手法ですね。
ミステリ初期からこのような作品があったというのに驚愕しました。
冗長すぎるほどに積み重ねて積み重ねて積み重ねていくのですが、それだけ丁寧に描いているから読者にもその道筋がくっきりと浮かび上がってくるのです。


黎明期だけあって、今の感覚で読むと犯人だと断定する道筋に甘さがあったり、すこしばかり無理やり感があったり、女性特有のヒステリー的な描写があったりもします。ですが、犯人を探し求める手法だったり、結論までの道筋だったり、ハウダニットかフーダニットかホワイダニットかという部分は今のミステリと通じるところもたくさんありました。
読めば読むほど、やっぱりミステリは好きだなあと思いました。
まだまだ読んでない名作もたくさんあるし、ミステリをもっと読みたくなりました。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?