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『土佐日記』感想

『土佐日記』紀貫之

青空文庫で読みました。
日記書きたいんだけど、どうせ私は続かないよなぁ、なんて思っていたときにふと思い出したのがこの一節。
「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとしてするなり。」
これまで読んだことはないのですが、文学史の授業の一環で憶えていた「土佐日記」の冒頭の一節です。

どうせ続かないよなぁ、と思いつつも、いや、でもやってやろうじゃない。一行でも、昨日とおなじでもいいじゃない、なんて考えているときにふとこの一節を思い出し、そのままの勢いで読むことにしました。

「土佐日記」とは紀貫之が国司として赴いていた土佐から京に戻るまでの二ヶ月弱の日記です。
最初はもう今にも土佐を発つ、という場面から始まるのですが、お見送りに来た方々と名残を惜しんでもう少しもう少し、と引き留められ……というような描写が続くんですよね。早く発てや、と思ったのですが、ふと気づきました。この頃の旅はいまよりも時間という観点からも費用という観点からも危険という観点からももっと過酷で、旅立つともう二度と会えないかもしれないんですよね。
くわえて、いまとは違い、土佐から京に上がるのはともかく、京から土佐に行くなんて国司に任じられた場合などでないとありえないわけで、いずれ京に戻る予定の次の国司はともかく、土佐に在住の方にとっては本当に終の別れに等しいわけで。
そりゃあ、話も尽きないだろうし名残を惜しんで来れる限りは足を運んでくるわけです。

しかしそれにしたって限度というものはあります。そうやって何度も何度も挨拶に来てくてるというのも、単に名残を惜しんでいるからだけではなく、悪天候でなかなか旅立てないから。そうして来るたびに、主としてもてなし、何らかのものを渡したりもしているのですから、紀貫之も少々うんざりしていたんだろうなあ、なんてことが日記の端々から見て取れるのが面白い。

ようやく旅立ってからも悪天候でなかなか進めないだとか、また足止めを喰らったりとかでうんざりしていたり、難波について喜んでいたり、ようやく京に入って周囲が浮き立つ様子が垣間見えたり、そういうのもとても面白いです。

それにしても、紀貫之という方はどうして女性としてこの日記を書いたんでしょうね。
どうして、なんてことは本人でないとわからないことですが、土佐日記の内容からしても「面白いこと」が好きな方だったのかな、と思いました。
京を一緒に旅立ち、そうして土佐で亡くした子を思う文章などはとてもかなしげで、その痛みはきっといつになっても癒えることはないのだろうな、と寂しい気持ちにもなるのですが、そんな気持ちを心の中に持ちながらも「この船の主人(=紀貫之)はあまり歌心がない」なんてことを書いていたりもするんですよね。
紀貫之といえば今の世にも伝わる歌人なのに、誰とも知れない女という体で書いている日記にさらっとそんなことを織り交ぜたりもする。
そのくせ、この土佐日記にはいろんな歌も書きつけられている。
紀貫之って面白い人だなぁ、と読みながら思いました。

そしてこの土佐日記。何とか日記を続けて習慣にしよう、とあがく私にとっては心強いことに、書くことのない日には「昨日と同じ」なんてことを書いているのです。それも、二か月弱のそう長いわけでもない日記のうちに何度も。
船のうえだし、なかなか出航できなかったことを考えても、きっと揺れる中でこの日記を書いたんでしょうね。
だからほんの一言しか書きつけられなかったときもあったとは思いますが、なんとか書くことをひねり出さねば、と思い、それがまたプレッシャーになって日記が長続きしない私にとっては、最悪、昨日と同じって一言だけでもアリなんだ、とわかっただけでもとても気が楽になりました。
しかもそれが日本で最初の日記文学だなんて本当に心強いです。

もうひとつ面白かったのが、原文でも意外と意味が分かること。
現代語訳と対比で読みましたが、必ずしも現代語訳を読まなくても、なんとなくでも意味の分かる部分は思った以上に多かった。
私は古典は苦手だったのですが、それでもなんとなくでも意味が分かるというのは、やはり学校教育の賜物なのでしょうね。
とはいえ文法をきっちり憶えているわけではないので、おそらく試験を受けたらいまもやっぱり成績は良くはないでしょう。
でも、きっちりとした文法はわからなくても大まかにでも意味が読み取れるというのは、とてもすごいことだと思うのです。何百年も、千年も前の人の書いた思いが今までも伝わってくるということなのですから。

そんなふうに、時を越えて伝わるもののことを思うと、これまで古典をほとんど読んでこなかったのはもったいなかったなと思います。
また機会をみつけて古典にもチャレンジしたいと思います。

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