見出し画像

『黄金の烏』感想

『黄金の烏』阿部千里 文藝春秋社

『黄金の烏』阿部千里/文藝春秋社(表紙画像は版元ドットコム様より)

八咫烏シリーズ第三弾。
前巻のラストで若宮のもとを去り地元に戻った雪哉ですが、今度は地元で大きな事件に巻き込まれます。
雪哉の住む垂氷郷に、突然、正気を失った八咫烏が現れたのです。暴れる八咫烏から郷民を守ろうとする雪哉ですが、とても手が回りません。そこに現れ、暴れる八咫烏を捕縛するのに手を貸したのは、若宮に仕えるという墨丸と名乗る男でした。
その件が一段落する間もなく、垂氷郷にはまたも大きな事件が。今度現れたのは人食い猿。墨丸は、この緊急事態にいっしょに中央へ向かい若宮に報告してほしい、と雪哉を半ば強引に垂氷郷から連れ出します。
……ていうか、まぁ墨丸=若宮なんですけども。
若宮が名乗った墨丸という名前ですが、妻である浜木綿の真名が墨子だったと思うのできっとそこから取った名前ですね。

前の二冊のときもつくづくと思いましたが、このシリーズは誰の視点で語られるかでまるで違うお話となります。こういう面もある、というレベルをはるかに超えていて、ミステリで言うところの叙述トリックに近い感じ。
なのでこの『黄金の烏』も若宮の視点、雪哉の視点、大きな鍵を握る小梅の視点でまったく違うお話になってくる。

そして自分でも驚いたことに、ちょっと雪哉にイラっとしました。
雪哉は若宮や長束(なつか)様のいう「真の金烏」は便宜上のものであり、宮中の権力闘争で使われる方便のようなもの、と理解していたようですが、そうじゃないだろう。若宮のお側仕えをしていたのに、真の金烏の力については知らないにしても、若宮が権力を求める人ではないことに気づいていなかったのか、と思ってしまったんですよね。
正確には、若宮は権力を求めてはいるんでしょう。ただ、若宮が欲しがっているのは権力そのものではなく、山内を守るために必要な力が権力であり、雪哉はそれに思い至らなかったのかと。

雪哉は若宮と長束様の間で交わされた言葉は知らないし、つまるところ金烏とはなにかという教育を受けたこともない。
その違いは存外に大きく、同じ場所で同じものを見たとしても、考え方の立脚点がまるで違うのだから、同じような考えには至らないだろうと思うのです。
つまり、雪哉はある意味読者である私達よりも見えていないものが多く、見えているものは案外少ないはずなんですよね。
それをわかってはいるけれど、それでもなお、あれだけ若宮の側にいたくせにどうして気づかないかなあとイラっとしてしまいました。

ともかくも、今回出てきた人食い猿の話。人食い猿が出てきたあたりの描写は何とも不穏です。第1弾と第2弾でも不穏な空気が漂うことはありましたが、あくまで不穏な空気という感じ。
このお話は割とはっきりと血なまぐさい描写があるし、努力したって駄目なものは駄目だということも書かれていています。なんともやるせない家族の話や、通じているようでやっぱり通じていないすれ違い。
そう言ったあれこれを越えてようやくたどり着いた今回の事件の真相は、やるせないなんて言葉で表せるものではありませんでした。
なにより、真相に辿り着いたことは辿り着いたけれど、それはもっと大きな災厄への入り口でしかなかったのですから。
このお話の冒頭でまかれた謎はちゃんと解かれて目の前に提示されているのに、顔をあげたらさらに違う謎、というか災厄が目の前にあるというのはなかなかにきついものがありますね。

それでも良かったのは、雪哉がちゃんと自分の意思で若宮に仕えると決めたこと。
これでようやく主従が主従になったんだなとそういう意味ではホッと息をつきました。
まだまだ立ちはだかる壁は大きいですが、雪哉の行き先が楽しみです。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?