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ほぼ3年ぶりの東京で感じた、都会と田舎の10の違い(違和感) from 岡山県高梁市

2020年12月、東京を離れ、岡山県高梁(たかはし)市に移住しました。
自然豊かな高梁での生活に馴染む中で、都会の喧騒や忙しさをすっかり忘れていましたが、この週末、久しぶりに東京に足を運びました。
その際に感じた、高梁市と東京との違い(違和感)を10個、自分の備忘も兼ねて書いておこうと思います。


1.当たり前だが、岡山弁を話す人はいない(笑)

高梁での毎日では、岡山弁にすっかり馴染んでいました。
ですが、羽田空港に降り立ち東京に戻ると、その独特なイントネーションと語尾を耳することはありません(当たり前ですが)。

「〇〇じゃろ!」
「〇〇やけん」
「ぼっけえ〇〇!」
「で〜れ〜〇〇じゃけえ」

どうでもいいことかもですが、「わぁ〜岡山弁で話す人いないな〜〜」と、軽く外国に来たような気持ちになりました(笑)。
はい。次から真面目にいきますね(笑)。

2.小さい子どもを連れていても反応がない

これはかなり強く、違和感を感じました。
高梁では小さな子ども(娘まもなく2歳)を連れて歩いていると、よく(というかほぼ100%)、道ゆく人や隣り合わせた人に微笑まれたり、声をかけられたりします。
何ならペロペロし始めるんじゃないかという勢いで、溺愛の眼差しを注ぐ人もいます(笑)。

しかし、東京ではそういった反応はほぼゼロだったように思います。(特に、電車での移動中やお店の中でなど。)

「赤ちゃんや小さい子を見かけると、かわいい〜」
みたいな空気感的なものが、ほぼないです。

「あれ、うちの娘結構かわいいと思うんですが(親バカ)、ノーリアクションです??本当は愛でたいですよね??遠慮してます??てか視界に入ってます??汗」
(↑横山の脳内ひとりディスカッション)

視界に入っていないわけではないと思うのですが、反応がなさすぎて、違いを感じました。
(もちろん「かわいいですね〜」「何歳です?」とか声をかけてくれる方も数人いましたが、圧倒的に少なかった、という話です。)

3.目を合わせない

そう考えていくと、子どもや赤ちゃんうんぬんの前に、
「そもそも、街中で周りの他人と目を合わせることをしないよね」
ということに気づきました。

足早に行き交う人々。いちいち目を合わせないよね。

高梁では、歩いていても、お店に行っても、駅前の図書館に行っても、他の人と自然と目を合わせることが多い(多くなった)気がします。
知り合いだったらあいさつしますし。
(大体知り合いであることが多いですが)

そんなにジロジロ見ているわけじゃないですが、無意識に何となく見ているな、と。

都会でその感覚で周りを見てしまい、目が合うと、かなり不信がられます(笑)。
バスの中にしても、電車内でも、お店に入ったときでも、無意識に見渡して、目が合うと「何ですか・・・汗」という感じで戸惑われたり、場合によってはジロっと見返されたりします。

都会で暮らしていると、そもそも人が多すぎるので、ひとりひとりを「人」として認識していると脳が処理しきれない感じになるので、背景(?)モノ(?)としてスルーすることが習慣化している感覚でしょうか。

なかにはヤバめの人もいたりするので(人が多いので確率論的に)、トラブルを避けるためにやたらと他人と目を合わせないように気をつけている面もあるかと思います。

田舎の人が(好きな言い方ではないですが、わかりやすく敢えて)都会に来ると、
「怖い感じがする」
「冷たい感じがする」

という人がいるのが、わかる感じがしました。
自分が「人」として、周りから認識されていない、無視されている感覚でしょうか。物理的に人は多いので、余計に感じるかもしれません。

4.あいさつをすると怖がられる(笑)

高梁に来て驚いたことが、道ゆく子どもたちが、知り合いでもない自分に「こんにちは」とあいさつしてくれることでした。
「あれ、今の子知り合いだっけ??(汗)」
と最初の頃はアワアワしていましたが、別に知り合いでなくても、すれ違えば多くの人があいさつしています。

最近はそれに慣れて、当たり前になっていましたが、都会では違いますよね・・・。

ドルトン東京学園の見学に行った帰りに、下校中の小学生と道ですれ違ったのですが、その子が、自分のことを訝しげに見てきたのですが(普段見ない人だなと思ったのでしょう)、目が合ったので思わず
「こんにちは(ペコリ)」
と声をかけたら、めちゃくちゃ驚かれました(笑)。

目を見開いて、アワワワワ・・・!!としながら、足早に立ち去って行きましたが、驚かせてごめんね、という気持ちです。

都会の学校では、
「知らない人(特におじさん)に話しかけてはいけません」
「話しかけられたら逃げましょう」

と指導されていることが多いと思うので、もしかしたら赤い服の不審者情報が出回っているかもしれません。

誤解のないように補足すると、「都会が悪くて、田舎がいい」とかが言いたいわけではなく、久々に東京に来たら、それくらい違和感というか、「違うな〜」と感じた、ということです。(個人的にはあいさつは大事なコミュニケーションだとは思っていますが)

ちなみに、高校の地域みらい留学(公立高校の全国募集)の東京合同説明会の会場にもいきましたが、地方の高校生はあいさつしてくれるので、すぐにわかります(笑)。

5.人工物に囲まれている違和感、グレーの街並み

都心のど真ん中の小学校

山がない。
当たり前ですが(笑)。

東京はビルや高層マンションが立ち並び、グレーの街並みが広がります。コンクリや鉄筋の人工物に取り囲まれている感、圧迫感を相当に感じました。
もちろん街路樹が植えられたりもしているのですが、それも正直、人工物に見えました(自然なものではない。作り物感。)

あと、岡山は地下鉄がないですし、高梁だと地下自体もほぼないので、地下にいることも、むちゃくちゃ息苦しさを感じました。前は毎日地下鉄で通勤していたのが信じられん・・・。

6.「空気」は正直しんどい

都会特有の排気ガスや喧騒、人の多さ。
高梁に帰ると、空気が澄んでいるし、何より土と草木・山の香りがします。それに体が慣れてしますと、都会の空気は正直しんどく感じました。

7.「分刻み」の疲労感

地下鉄の駅のホーム

移動は主に電車でしたが、分刻みの時刻表を追いかけるのが、かなり疲弊しました。
「〇〇の会議が13時開始」
「△△の授業が10時開始」
みたいな時間の感覚で普段生活しているので(+車で移動)、「次の山手線は10:26発」みたいな、その刻みでの時間を追うこと(追われている感じがすること)が、結構しんどいなと感じました。

8.安らぎのないカフェ

駅前や駅なかにあるチェーン系のカフェのことです。
東京で仕事をしていた時は、移動の合間やら何やらでよく利用していましたが、めちゃくちゃ狭く、息苦しい感じがして、こんな感じだったっけな???と思ってしまいました。
(立地の問題もあると思うのですが、カフェに限らず、店舗の椅子とか座席とかが、ぎゅうぎゅうしている感じです)

あと、もう一つ気持ちの悪さを感じたのは、空間は共有しているのに(同じ場所にいる)、コミュニケーションはない、というところでしょうか。席はめちゃくちゃ近くて圧迫感あるのに、お互いはまるで存在しないかのように関わりはない感じ。言葉を選ばなければ、ちょっと不気味に感じてしまいました。
満員電車とかに近い感じですかね。。。

9.歩くのが速い(笑)

「東京の人たちの歩くスピードは本当に速い」
と、地方出身の方がよく言われますが、本当にまじで速いなと思いました(笑)。
駅のホームとか改札とか駅ビルとか、激流に飲まれた魚の気分でした(笑)。制服着ている中高生とかも、めちゃ歩くの速いですし。

10.「消費者」しかいない

東京(都会)は、たくさんの人がいて、たくさんのお店もあります。いうまでもなく「消費者」はお店やサービスを利用する人のことです。
チェーン店的なお店が圧倒的に多いので、そこで働く人も、なんだか「消費されている」ように感じてしまいました、という話です。
もっというと、街全体が「消費し、消費される渦」に飲み込まれているような、そんな感覚でしょうか。

都会では、野菜も果物もお米もお肉もスーパーに並んでいて、どんどん流通で流れてきて、まるで工業製品かのように感じてしまいます。(今は余計にそう感じます)

ですが、高梁で暮らしていると「つくり手」に多く出会うわけです。
農家さん。畜産を営んでいる方。市役所の職員の人や学校の先生も、田んぼをやっていたり、ぶどうを作っていたりします。(自分自身も今年から手作業で米作りをやってみたりもしています。)
お店も手作り感があったり、おじちゃんおばちゃんが長年やっていたりと「顔が見える」ことがほとんどです。

そこには、「消費者と消費される側」という関係でなく、まずはお互い同じ地域の人同士であり、同級生だったり先輩後輩だったり、と、人間関係がまずはある、という感じでしょうか。

もちろん都会にも、何かを生み出している、つくりだしている人はたくさんいますし、あたたかいコミュニティもあると思います。

「心が喜ぶ生き方をしている人がどれくらいいるんだろう」
「すり減る人との関わりと、心が豊になる人との関わり、どちらが多いんだろう」

そんなことを、久々に来て、どうしても考えてしまった感じです。
これは感覚としては、伝えるのが難しさがありますが、感じたことのなので、最後に記しておきます。

以上、他にももっと色々あるのですが、とりあえず10個にまとめてみました。

久々に東京に来て、この3年弱の間に、自分の感じる「当たり前」がかなり変わったことを実感しました。
高梁の自然の豊かさや人と人の繋がりの豊かさ、それを大切に思う自分の気持ちを再認識した感じです。

もちろん、久々に東京に来て、面白い出会いや発見もありましたし、都会ならではのメリットも感じた点もいろいろあります。そこはまた追々、ということで。

ちなみに岡山県高梁市はこんなところ。
 ↓↓↓
https://www.city.takahashi.lg.jp/soshiki/2/logo.html

わたしあうまち高梁市 全文>


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