hiroki_yamamoto+h

わたしたちは小説を書きます。見間違いを愛します。植木鉢のおばあさんと、蛸壺のなかのティ…

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わたしたちは小説を書きます。見間違いを愛します。植木鉢のおばあさんと、蛸壺のなかのティランノサウルスのために。 いぬのせなか座 https://note.com/inunosenakaza

最近の記事

「金毘羅」における日記とフィクション

大学生のころ書いた、森鴎外の短編「金毘羅」をめぐる文章をアップします。hとともに共同執筆したはずのものです。 == はじめに  実際に起きたことを書きつけるとき、日記とフィクションは、はたしてどのような関係にあるのだろうか。  フィクションはどのように書いても良いとされる。物語の都合を優先して、事実を様々に書き換えることができる。だが、自身に起きた出来事、例えば子どもの死という非常に大きな事柄をもとに書くとき、子どもの死んだ日や状況を、物語内部の都合にすべて従属させること

    • 芸術制作を通しての思考、そして救済――クザーヌス「神を観ることについて」

      大昔、大学で書いた文章を必要あって漁っていたら出てきたので、アップしておきます。 書き方が明らかにあらっぽいし、「新たな距離――大江健三郎における制作と思考」のなかでより洗練して展開している内容でもあるが、何かしらの参考になれば。 === 芸術制作を通しての思考、そして救済――クザーヌス「神を観ることについて」 「神を観ることについて」というテクストを読むなかで最も関心を持ったのは、クザーヌスの思想における「私」の位置だった。  神という存在を規定するとき、それを規定しよ

      • 山本浩貴「死の投影者による国家と死」(「ユリイカ」特集=Jホラーの現在)冒頭公開

        「ユリイカ」2022年9月号(特集=Jホラーの現在)にホラー論を寄稿しました。以下、冒頭部分を掲載します。全体が4万字超なので、おおよそ10分の1程度です。気になった方はご購入ください。 死の投影者(projector)による国家と死――〈主観性〉による劇空間ならびに〈信〉の故障をめぐる実験場としてのホラーについて※1山本浩貴(いぬのせなか座) 死  人はこんなにも死に易く、死を知り、死を積み上げてきながら、死を生きた肉体によってしか表現できていない。ひとつに霊を知覚す

        • 2020年のしごと

           2020年は、いろいろな意味で「復帰」にむけて努力していた印象がある。最低限、文章が書けるようにまでなってよかった。  「クバへ/クバから」や「NO PROGRESS」など、現在進行中のプロジェクトへの参加が、年の後半あたりから非常に大きなものとして自分に迫ってきたところがあった(いずれも来年前半に向けて、良いものができつつあるように思う)。  ほか、批評や小説に関しても、いわゆる「文学」からどんどん離れていくような感覚が昨年以前よりますます強まってきた気がする。仕事として

        「金毘羅」における日記とフィクション

          いぬのせなか座1号 巻頭言

          今日(2020.5.1)でいぬのせなか座立ち上げからまる5年が経ちました。強い意味はないですが、立ち上げ当時webに公開し後に『いぬのせなか座1号』に掲載した文章を、再掲します。今読み返してもさほど気持ちは変わっていません。 ──────────────────────  新たな距離 Renewed Distances とはなにか。それは、私がものをつくるなかでいくつもにちらばり矛盾しはじめた私らを使って、常に「この私」を救い(投げ)出しながら思考する、その過程におい

          いぬのせなか座1号 巻頭言

          「pot hole(楽器のような音)」 冒頭3000字公開 『ことばと』vol.1より

          山本浩貴(いぬのせなか座)による40,000字ほどの小説「pot hole(楽器のような音)」の、冒頭3,000字ほどを、出版社の許諾のもと、公開します。 『ことばと』vol.1は書肆侃侃房より2020年4月17日発売。目次等はこちらからご覧いただけます。 また、同誌掲載の千葉雅也さんによる小説「マジックミラー」も、冒頭部分が公開されています。あわせてご覧ください。 ────────────────────── 人間は他人を救うとおなじ次元で、じぶんを救うというようにはで

          「pot hole(楽器のような音)」 冒頭3000字公開 『ことばと』vol.1より

          小説という霊の認識は、まるで偶然としてはできすぎた生命のように。――ポール・ド・マン、大江健三郎、生態心理学

          A 1  大江健三郎は、五〇年以上に及ぶ作家生活を通して、特異な小説技法を確立した小説家である。長篇『同時代ゲーム』を書き終え、連作短編に重心を移しはじめた八〇年台以降、現在に至るまで執拗に繰り返されてきたその技法は、大江自身の言葉を用いれば、《自分の作ったフィクションが現実生活に入り込んで実際に生きた過去だと主張しはじめ、それが新しく基盤をなして次のフィクションが作られる複合的な構造》(『私という小説家の作り方』)と、ひとまず表現することができる。  小説作品の語り手

          小説という霊の認識は、まるで偶然としてはできすぎた生命のように。――ポール・ド・マン、大江健三郎、生態心理学