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プロランナーの定義とは? 2020/02/16

今回は最近陸上界のTwitterで話題になっていた『プロランナーの定義』について自分なりに思ったことを書いていきたいと思います。(流行りに遅れてすみません)

陸上競技に関しては、現在野球やサッカーのようにプロリーグなどが存在するわけではありません。名乗れば誰でも『プロ』になれるというのが現在の状況なのかなと思います。

先日拝見したTwo Laps TC代表の横田さんの投稿では、目からウロコのような内容で「プロランナーの基準」について述べられていました。


・頭の良い方の言うことは分かりやすい
・自分が上手く言語化できないことをシンプルな形で表現している(僕もこうなりたい)

と読んでいてスッと入ってくる内容でした。

陸上競技におけるプロについて考えてみる|TWOLAPS 横田 @MASATO_800
(まだ読まれていない方はぜひご一読を)

僕自身、現在『プロランナー』として活動している中で、自分には当てはまっていないことばかりで肩身の狭い思いを感じる内容でしたが、

そうだよなあ

と改めて納得できる部分が非常に多かったです。
(一緒に読んでいた川崎選手は読了後、自分のことを「オレは副業ランナーだわ」と言っていました)

(携帯電話をみている川崎選手の様子)


ただ読んでいて納得する一方で、自分を正当化させたいという思いでしかないのかもしれないのですが、

『プロランナーの定義』のようなものは別になくてもいいのかな

と思う自分もいました。

ここからは書いていて長くなってしまったので、ご容赦ください。


現在陸上界(ここでは長距離種目について)に関しては10年ほど前に比べるとかなり変化、また多様性が生まれている状況かと思っています。
それは一般社会としてもインターネットの発達、SNSの普及など、大きく変化が起きていて、その影響をスポーツに関しても同じように受けていると考えることができると思います。

以前はテレビなどのメディア媒体でレースの時くらいしか露出がなかったものが、SNSの普及に伴って、いつでも自分から情報発信できるようになりました。
自分のSNSアカウントから自分の言葉で他者に情報を伝えることができ、Youtubeでは自分のチャンネルを持って、自分そのものをひとつのコンテンツとして世の中に出せる時代です。
(最近神野大地選手のyoutubeチャンネルをみていて益々そう思いました)

(「神野選手のyoutubeチャンネルより引用」 面白いので皆さんぜひ視聴してみてください)

このような変化の激しい時代に、基準や定義といったものが足かせになって、競技の発展を妨げる恐れもあるかもしれません
現在はシューズの規定問題などが記憶に新しいと思いますが、既存のルールでは適応できなくなるケースも今後増えてくる可能性があります。基準や定義、ルールなどが必要な一方で、それにとらわれずに競技自体が盛り上がっていけるか、そのバランスはより重要になると思います。

(「NIKE公式アプリより引用」 最近は厚底シューズ関連の投稿をすればPV数が伸びるなどの現象が起きた)


また他のスポーツと比べるということも勿論大切なことかと思いますが、そもそも陸上競技に取り組んでいる自分にとっては、陸上競技はオンリーワンな存在です。
ほかの模倣よりも陸上競技は陸上競技のやり方でトップスポーツとして昇華していってほしい。サッカーや野球はプロリーグ機構があり、それで発展していますが、別のかたちから発展できる可能性もあるかと思います。
もちろんほかのスポーツ、異業種の分野から得ることは多いと思いますし、既存の成功モデルに当てはめていくのが最も効率的だと思いますが、それが当てはまらないなら陸上競技の特殊性を生かした発展の仕方があると思います。

元々走るという行為はサッカーや野球などとは違い、参入障壁が低いです。ルールも単純明快かと思います。自分の身体をスタート地点からゴール地点までより速く、自分の身体の性能のみを使って辿り着けばよいだけなので。
(シューズやウェア、給水の機能はある前提ですが、、、)

現在はSNSを通じて、誰でも主役になれる時代です。走るという行為は、今の時代にとっても相性がいいと思います。市民マラソンに参加したことのある人はかなり多いのではないでしょうか。
結果に限らず、走っているのは自分自身です。自分が主役というのはSNSとも親和性が非常に高い、インターネットの時代に晒されている中で今後より価値が増していくスポーツだと思います。

(「東京マラソンHPから引用」 日本の市民マラソンの代表例)

また今度開催される東京マラソンのように、
参加者でプロと一般人が混在しているというのは、野球やサッカーなどではまずないかと思います(ここではプロスポーツでメジャーな野球やサッカーを引き合いに出させて頂きます)。また現在の競技の性質上、様々な目的の人が集うスポーツといえるので、多様性に富んでいるといえることからも、現代社会とフィットしていると思います。

またほかを振り返れば、現在発展している業界も過去を振り返れば価値があるかわからないものが混在していたと思います。それが市場原理で淘汰されていく中で、より良いものしか残らず、それが結果として業界が発展してきたのではないでしょうか。


話が長くなってしまいましたが、
色々なかたちの『プロランナー』がいてもいいかと思います。
むしろ究極をいえば『プロランナー』じゃなくてもいいのかと。「職業が自分」といってる方をメディアでみたことがありますが、そういうかたちでもいいのかなと思います(笑)

スポーツ選手で例えるなら、サッカー選手の『本田圭佑さん』などはサッカー選手という肩書きよりも『ケイスケ・ホンダ』という存在が唯一無二の存在として認められているかと思います。サッカー選手という肩書きの枠よりも先に、本人がくるというのが究極なのかなと考えています。
(自分自身はまだ『プロランナー』の肩書に頼ってしまっていますが、、、、)



また競技者である以上は結果が最優先だと思いますが、ストーリーのない選手にはファンも集まらないと思います。No1はひとりだけですが、それ以外の選手に価値がないかといえば、それも違うかと思います。

近年盛り上がりをみせている箱根駅伝をみても、各大学それぞれに注目が集まっているではないでしょうか。
それはカラーの違うそれぞれの大学の選手が、各々のストーリーを持っていて、懸命に目標に向かって頑張る姿勢そのものに価値が出ていると思っています。勿論、テレビ局をはじめ、メディアの取り上げ方の力は大きいと思いますが、根本はそういうところなのかなと感じています。

(箱根駅伝公式HPより引用)


話は戻りますが、
『プロランナー』でなくても、
より個性的でキャラクターの立っている選手が出てきて、これまでにない取り組みをする、そして成果を残す。それで充分なのではないかと思います。

(取り組みはあくまで手段なので、従来のものでもいいと思っていますが、成果は競技結果以外の部分も含まれるかと思います)

今回は、

思っていても発言しないのは存在しないのと同じ

と最近読んだ本に書いてあったので、思いきって自分の考えを書いてみました。
これは僕自身の個人的な考えであって、賛否両論様々あると思います。競技者としてはまだまだですが、やるからには当事者意識を持って競技に取り組みたいと感じているので、今後の活動に注目してもらえたら幸いです。

(口だけでなく、脚を速くするために牛と戯れながら走る日々が続く)

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