番外編:志村けんさん追悼番組より


こんにちは。


土日は自粛モードでずーっと家にいます。


一日中家にいるのはなんだか変な感じがします。


普段は部活に出て、「たまには休みも欲しいよな」とか思うことあるけど、


いざ休みだと変な感じ。笑


そもそもその時欲している休みというのはもっと自由が利く時間のことなのだけれど。



今日は、番外編ということで、


志村けんさんの追悼番組を観て感じたことについて書きたいと思います。



志村


志村けんさんはcovid-19の影響で亡くられました。


多くの人の間で衝撃が走り、各局で追悼番組が行われています。


自分にとっても身近な芸能人で(といってもテレビの前で見ていただけですが)、大好きな芸能人でした。やはり何も考えずに笑っているときが一番楽です。その機会を多く創出した志村けんさんはどれだけ人々を幸せにしたのでしょうか。


志村どうぶつ園を昨日観ましたが、動物にまで愛される志村さん。最後のシーンは涙腺崩壊レベルで涙しました。


悲しい話しか出てこないので、本題に移りますが、金スマの追悼番組を観ていたときの話です。ここから転用したことをタイトル付けすると


「人の成長には下積み時代が必要である」


ということでしょうか。


私が尊敬するサッカー選手の一人である、元鹿島アントラーズの岩政大樹選手の座右の銘にも


「No pain,no gain」


という言葉があります。



志村さんの話に戻すと、彼はドリフターズの付き人から始めて、同じ付き人とのコンビの形成・解消を繰り返してドリフの一員となったという話でした。


なんとなく聞いたことがあったようななかったような・・・


スターはもとからスターなのではなく、苦しみを味わっていたのだよ。努力して這い上がったのだよという内容でした。


詳しくは金スマを見てもらえればと思うのですが、これを自分の教育観や指導観にどう生かしていくべきか。


まず、自分自身のキャリアを考える上で、下積みは未来の飛躍のためにあると思って耐えなくてはならないということです。


苦しい場面に遭遇しても、そこを乗り越えられないとその先の景色を見ることができない。

それは成長する上で必要なことだなと思います。


自宅で時間を過ごしていることから、日中に今年の高校サッカー選手権の録画を観ていました。


昌平高校対青森山田高校の試合の中で、青森山田の黒田監督がロッカールーム談話でこう語っていたそうです。昌平高校に勝てば準決勝新出、埼玉スタジアムでの試合となる状況で


「今の状況は山登りでいえば6~7合目くらい。精神的にも身体的にも苦しい場面。これを乗り越えてその先の景色を観にいこう。」


このようなことを言っていたそうです。


最高の景色を観るためには多少の苦しみや負担がかかる。それでもつかみにいこうということでしょうか。


成功者(志村さんも、青森山田高校、岩政さんも成功したと定義します。)は口をそろえて苦しい時を乗り越えたからこそ今があるといいます。


では現在の教育業界、自分の見えている世界の先生方はどうでしょうか?


とてもいい先生方ばかりですが、ほとんどの先生は自分たちが観ている子どもたちが苦しい思いをしないようしている気がします。(自分の中では苦しい思いをわざと過剰にさせる、強いるのは体罰です。)


当の僕自身も苦しい思いをする子どもを観るのは心が苦しいです。いやです。ましてやそれで学校に来れなくなったら…とか考えるのも嫌です。


本当にぎりぎりな子どもに対して守ることはとても大切だと思います。(講師2年目の自閉症・情緒学級で観ていた生徒はまさにこういう子が多かったです。)


しかし、多くの子どもにとって成長のためを考えたら、苦労や下積みは必要なのではないでしょうか。そう感じました。


今日の話をまとめると

①成長するためには、下積みや苦労が必要である。

②自分自身においても下積みが必要だと認識をもつ

③子どもたちにとっても下積みは必要である

④本当に苦しむ子供には救いの手を


といったところでしょうか。


尚、青森山田高校の黒田監督は別のところで参考になることがあったのでまた次回以降話をしていきたいと思います。


今日はこの辺で。次回は(偉そうにも)部活動の意義についてです。


お読みいただきありがとうございました。

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