私の芸術運動164原石

誰かの為になる絵!とはいったいどういうことなんだろう?

美術館で見る絵はいつも私にワクワクしたものを提供してくれる、それによって私の人生も大きく変わって、というかあるべき場所に来た気がしてる、私自身そうして絵を描くようになって、自分の心を鼓舞するような、癒すような、喜ぶような絵を描いてきた、そんな絵画達を個展でまとめて発表したりしている。

それを何年も続けてきてようやく、そろそろ誰かの心に触れる絵を描けるかもしれない、と思い始めた、自分の心が満足できるようなものを自然と目標にしていた、これは別に悪いことじゃない!

だけど、美術館や画集やらで私の背中を押してくれた画家や作品達の様に私の芸術も誰かに届いて欲しいなと最近思う、それは売れるとかそういう事とはちょっと違う、私の心の持ち様の問題なのだけど、画家として誰かの役に立ちたいと思っているのです。

そういう機会を個展以外に広げたいなと思って私がまず始めたのがエッセイの執筆です

私は美術館などでよく思う事があります、この絵はどの様なシュチュエーションで、どんな環境でどんな時に誰とどの様にして目にした景色なんだろう?って

その画家がどの様なものに惹かれ、その場所に立ちそれを目にする事になったのか?

これがとても私の気になる事なのです。

私が有名になる?そんな事は知りませんけども

作品が出来上がる前の画家の状態とそれに出会った事による感情の起伏、インスピレーション、の原石を完成された絵画とは別の視点から、私の場合それがエッセイとして残していこうと思っている。

映画や、本の、内容全体は忘れてしまっていても、心に残るワンシーンやセリフがあったりします、そういうかけらが寄せ集まって人生は豊かになってゆきます、そういう見地からも、絵画と画家のエッセイはとても相性の良い表現方法だと思っています。

限りなくアナログですが、じわじわと心に広がる心地よさが伝わっていただければと思います。

いずれそれらを画文集にまとめたいと思っていますのでどうぞよろしくお願いいたします。

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