心が満ちれば武器を持たずに済むのに

最後に描いた油絵から筆をまだ一度も持っていない。

とは言ってもまだほんの1ヶ月程度の話なのだけどとてつも無い時間が流れたように感じる

思えば私が初めて油絵を描き始めてからそれほど時間も経っていない事に驚かされる

コロナが来るほんの3年前に私は筆を持ったに過ぎないのです。

今日書きたい事はこれからのことであり、これまでの数年間の事は一旦置いておこうと思う、コロナが来たことによって世界は大きくうねり戦争まで起こってしまった事はとても悲しく心に重石として乗っかってしまったがそれによって全ての人が影響を受けている。

そんなこれからの世界について私が思ういくつかのことをこれからの画業に照らし合わせて話したい。

こんな時代だからこそ、志を持った人達ともっと連携して活動したいとも最近思う、私腹を肥やすことや、有名になりたいという話じゃ無く、もっと心に有意義な事

ここで私が思い出す事は、過去の戦時下においての芸術家達の事である

自由な思想は統制を乱すとして格好の的となった

芸術家の集会や自由な思想の意見交換すら見張られ見つかればどこかに連れて行かれてしまったような時代である、これは海外でもそうだがこの日本においても同じ事が起きていた

あのヒットラーは元々自分自身が画家を志しながら政治活動に傾倒してゆきしまいには戦争を扇動して国中の美術品を処分しようとした

私は思う、美術品などの心を解き放つ作用のあるものはあの暗い時代において邪魔だったのだろうと、逆に言えばそれほどまでに強大な力があるのだろうと学生の頃の私は半信半疑ながらびっくりしていた

私はその解き放つ力を自分の絵画にこめているつもりで筆を持っている

自己主張が過ぎる芸術はいつしか超利己的なものとなってしまうけれど、私の思う心を解き放つ力はそこには無くて、もっと超自然的な、もっと身近な、誰の心にも思い当たる節があるものでなければならないと私は思う。

あれ?これはどこかで!!??

と不意に何かを思い出させるようなもので、そこから先は自分の心を解き放ってこそそれが何かを知れるようなもの

芸術は全てを案内する地図では無くて、入り口まで、そのドアまでお連れするもの

ドアを開ける、開けないはまさにその人の自由に委ねられている。

綺麗事だけどこれが暗い時代においてはかなり強大、人々がそれを欲するようになる、これは間違っているのかもしれない、と今の自分たちを見直すきっかけになったりする

手に持った武器や、心に宿った悪意、なんかよりもよっぽど平和的で、そこらじゅうに満ち満ちているものが芸術。

昔見たどこか分からないけど懐かしいあの景色が、なぜか違う場所を描いた風景画を見た時にふと思い出されるように、目に見えるものだけでは無く心の芯では何か繋がっている事は疑いようも無いもの、あの頃の私はもっとこうだった!!ような気がする、そんな気持ちを呼び起こすもの、何か大切なものがそのたわいもない風景画に描かれているようなそんな感覚。

これは音楽にも文学にもその他の芸術にも共通するものがある。

一人の芸術家がどうとかこうとかそういうことでは無くて、その時代に生きた芸術というものを心に持った人々がその時代を変えてゆく原動力となっていると私は思う、その人達が絵を描いていなくても、音楽を奏でていなくても、物語をかいていなくても、そういう精神が芸術家たるものだったから世界はこうして存続してきたと思う。

これからの話をしてゆきましょう😌

とりあえず帯状疱疹早く治らないかなぁ😇

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?