おじいちゃん、おばあちゃんの生きがいを奪っていないか?
「ご高齢の方々には優しくしましょう」
荷物を持ってあげたり、肩揉んであげたり、代わりに家事をしてあげたり。
ほとんどの人がやってるし、間違いなく大事なことだと思います。
しかし、それがその人の「役割」「生きがい」を奪っている可能性もあるかもしれません。
例えば、
孫が遊びに来るときは毎回、おやつや夕飯を作って待っててくれる。
みんなが来る時は、毎回玄関の外で出迎えてくれる。帰るときは見送ってくれる。
こういう事ってよくある事だと思うんですよ。
こういうときって決まって「大変だからいいよ」とか、「代わりにやるよ」とか言っちゃいがちだと思うんです。
一見、気を使って、優しく、おじいちゃん、おばあちゃんのためを思ってる風に聞こえますし、思ってると思います。
たしかに大変なこともあると思います。
その場はやらなくて少し楽かもしれないですけど、そういう事がなくなると本人たちはどうなっていくのでしょうか。
両親や、おじいちゃんおばあちゃんは、子供が成人して、仕事も引退してどんどん誰かのために動くことが少なくなっていきます。
そんな中、孫ができておじいちゃんおばあちゃんとしての「役割」ができるんです。孫を相手にすることに限ったことじゃないです。
朝、新聞を取りに行くことや、庭の世話、家の周りの掃除。
などなどきっと日常でやっていることはなんでもその人の「役割」となっているはずです。
その「役割」があるからこそ、精神的には「誰かのため」という気持ちがエネルギーとなって、日常に色がでると思うんです。
より理学療法士っぽいことをいうと
孫のためにおもてなし(料理)をしたい⇒料理をする⇒買い物に行く⇒何をつくるか考える。
行動が増えて活動が多くなるんです。
活動が多くなれば体力や筋力が落ちるスピードも緩やかになります。
精神的にも、身体的にもQOLがあがると思うんです。
良かれと思ってなんでもかんでもやってあげるのが良い訳ではない。
かといって全部やらせて、疲れて転んでしまったりしたら元も子もない訳で
「一緒に料理する」とか一部負担するとかがいいのかな。
役割は奪って、単に運動したほうがいい、デイサービスに行ったほうがいいと提案するより
ひとつでも「役割」を快適に継続してもらう、新しく担ってもらうほうが重要なんなじゃないかな、と。
よりおじいちゃんおばあちゃんの事を思うなら、そういったところまで考えて、お手伝い、気遣いができるときっと活き活きした生活になるんじゃないかなっと思います。