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「起業の天才」とリクルートの成功要因、上場以降の現在地

リクルート創業者の起業から政治スキャンダル、死までを描く「起業の天才」を読んだ。創業以降の様々なビジネス成功の要因がそこには描かれているが、自分なりにまとめてみたい。

情報の非対称性をなくすことをビジネスにする

リクルートは元々東大新聞の就職広告の事業からスタートしている。その当時はまだ縁故採用いわゆるコネ入社が主流の中で一部の企業は本当に優秀な社員を採りたいが、どうやって採用したら良いかわからない状況だった。

企業の就職広告は優秀な学生がどこにいるかわからないという情報の非対称性を解消するために成り立っている。同様の情報の非対称性は中途採用市場や不動産賃貸市場などにも存在し、これを江副は自分の生活の中から見つけて事業に仕立てていったのだ。

つまり、ものではなく情報の需給を結びつけることで利益を生み出すということがリクルートの行なっているビジネスの根幹の部分にある。

江副はIBMのスーパーコンピュータにいち早く投資し、いつか紙の求人雑誌はインターネットに置き換えられることを予見していた。一方で当時のコンピューティング技術がまだ彼のニーズに合うレベルまで成熟していなかった。

情報の需給を司れば優良な情報が集まる、それを最大限利用する

就職広告の出稿量を通じて、どの業界に勢いがあるのか、マーケット全体がどちらに動くかということがわかり、江副はそれを元に株取引を行っていた(今ならインサイダー取引に当たるようなものもあるか)。

加えて就職広告を通じて優秀な大卒学生にも最初にアクセスできる。彼らを高い給与と仕事の権限を与えて引っ張ることで超優秀な営業部隊を作り上ダイヤモンドや読売などの一流企業にも負けない優位性を築いた。

不動産投資が大きなビジネスの柱になったのも不動産賃貸情報のビジネスを行なっていたからだ。しかしそれはバブル崩壊による不動産価格の暴落というリクルート自身をどん底に落とすきっかけになってしまった。

能力本位で仕事を任せる、ビジネスの主人公であると思える舞台を作る

リクルートでは若い社員でも成果を上げればどんどん責任も給与も上がっていく。また男性中心で多様性という言葉もない中で、女性社員や在日韓国人の方など様々なバックグラウンドの人に能力さえあれば活躍できるフィールドを作り、競争を生み出した。

「自分が何をしたいのか」を問いかけることで自分ごととして課題に向き合い自ら解決する人を育てる。「自ら機会を作り出し、機会によって自分を変えよ」という言葉がそれを端的に表している。そうしたカルチャーが継続的にビジネスを進化させる原動力となっている。

組織運営に心理学などの科学的アプローチがはじめから導入されていたことも経営における人の重要性にはじめから着目していたことを表している。

江副のゆがみとリクルートの聚落、そこからの復活

リクルートのビジネスの成功は上記のような要素によって成り立っている。一方で江副が政治との関係を深め、不動産市場を過剰に信頼したことがリクルート事件、バブル崩壊に伴う1兆8000億円の負債をもたらしてしまう。

日本の株式市場の未成熟や、不動産市場の加熱に対し、虚栄心が江副の目を曇らせ、変化を予見できなかったところにこのような事態が生じた理由の一端がある。

しかし、リクルートはそこから地道に負債を返済し、上場する。

情報の非対称性を解消するそのビジネスが人々の生活に不可欠になっており、そのプラットフォームを担える企業がもはやいなかったこと、何よりリクルートの組織カルチャーが江副退任の後も受け継がれてきたことが、ビジネスの継続的な発展をもたらした。

ワンマン社長の企業であれば兆単位の借金を負った企業は優秀な人材が離れてあっという間に衰退していく。しかしそうならなかったのはリクルート社員に「圧倒的当事者」の意識が根付いていたからだろう。

「ビジョナリーカンパニー」という本では素晴らしい企業は一種カルト的であると述べられている。リクルートの組織カルチャーはこれと類似性があり、本書で「いかがわしさ」という言葉で表現されているところもそこなのではないか。

インターネット後のリクルートとカルチャーの継続性

インターネットの登場でGAFAを中心とするテック企業によりコンピューティングパワーによって情報の非対称性を解消していくことがビジネスとして確立した。

リクルート自身もこうした競合が登場する前からシステム投資を行なっていたことは前述の通りだ。本書のニュアンスとしてはリクルート事件がなかったら、リクルートがGAFAの位置を担えたのではということが書かれている。

一方で果たしてそうだったのかという点には疑問が残る。歴史にifはないものの、仮にバブル崩壊がなかった場合にリクルートはいくつかの壁に直面すると考えられる。

一つは海外マーケットへの展開だ。GAFAはグローバル展開を行うことでビジネスを成長させたが、バブルがなければリクルートがそのケイパビリティを持ち得たかという点はわからない。
現在indeed、Glassdoor買収して海外ビジネスを広げているのはまさにその点を改善しようとしている取組に見える。
基本的には国内マーケットでの情報の非対称性を解消する方向でビジネスを拡大してきた中で、バブルがなかったとしても海外への拡大は再現性を持った成功事例が作れたかは分からない。

カルチャーについても上場とともにそれが変容してきていると言う人もいる。かつてのように「自分は何がしたいのか」といった起業家精神が失われつつあるとの元リクルートの方の声を聞く機会があった。
こうした中でイノベーティブなゼロイチが今後もリクルートから生まれてくるのか、江副時代からのカルチャーは現代にフィットする形で進化し得るのか、といったことが問われるだろう。

リクルートの「自ら機会を作り出し、機会によって自分を変えよ」のカルチャーが、辞めた人材も含めてこれまで多くの日本における事業創出につながっている。そしてそのようなカルチャーはバブルとともに消えていったのだろうか。

現在のリクルートのサイトを見ると企業の行動規範に当たるバリューとしては以下のようなことが書かれている。

新しい価値の創造
世界中があっと驚く未来のあたりまえを創りたい。遊び心を忘れずに、常識を疑うことから始めればいい。良質な失敗から学び、徹底的にこだわり、変わり続けることを楽しもう。

個の尊重
すべては好奇心から始まる。一人ひとりの好奇心が、抑えられない情熱を生み、その違いが価値を創る。すべての偉業は、個人の突拍子もないアイデアと、データや事実が結び付いたときに始まるのだ。私たちは、情熱に投資する。

社会への貢献
私たちは、すべての企業活動を通じて、持続可能で豊かな社会に貢献する。
一人ひとりが当事者として、社会の不に向き合い、より良い未来に向けて行動しよう。

「圧倒的当事者意識」のような特徴的な言葉はなく、個人的には一般企業でも掲げるような平板な内容になってしまったように思う。リクルート事件を経て上場企業になる中で社会的な責任を重視し、表現も大人になっている。創業から50年以上経つ中で、現代の生活者の価値観に合わせた表現にアジャストしているのかもしれない。

創業当時の、自分こそが会社を動かしているという圧倒的当事者意識を持てる人がどれだけ生み出せるかが、継続的なリクルートの成長には重要だろう。

そして、このようなカルチャーはリクルートに限らず、日本の全ての組織にとって求められるものだ。主体的に自分がなぜそこで働くのか意味を見出し、それに全力で取り組んだ時、最大の力を発揮できるはずだ。



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