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日本のメンズストリートファッションはなぜ世界で受容されたのか

この30年日本は経済的には停滞を続けてきたが、一方で文化的にはグローバルな認知を高めて来た。食、アニメなどに留まらず、建築、アート、ファッション、音楽などについても言えることだ。

これは日本のバブル期に世界各国を日本人が旅して回り、その文化を日本国内に持ち帰って来たこと、その文化が日本のコンテクストと混じりあって発酵した事に大きな要因があると思う。

もう一つの要因としては、こうした海外文化の編集を通じた文化の創造が、インターネットを通じたグローバルな文化の創造を先取りしていた、全てが相対化される中での文化生成の方法論を生み出したということだろう。

加えて、グローバルに受容された日本文化は、国内でエスタブリッシュなポジションを取る伝統的な権威に対するカウンターとして生まれた。サブカルチャーがメインストリーム化した結果として生まれたことも忘れてはならない。権威主義がはびこるムラ社会は日本のどの業界にも存在しており、それに対する強い反骨精神から世界に受容された文化は生まれている。

こうした日本文化の世界でのメインストリーム化についてメンズファッションの文脈から紐解いてみたい。

DCブランドの隆盛と欧米文化への憧れの葛藤(1980年代)

高度成長期、戦後の日本というアイデンティティを再度獲得することが、日本のファッションの文脈にあり、それがコムデギャルソン、ヨウジヤマモト、イッセイミヤケなどをはじめとしたデザイナーを輩出した。
いわゆる戦後の「日本的なもの」の概念はこうした国内の気鋭のデザイナーによって結晶化されていったのではないかと思われる。
一方で欧米文化に対する憧れもその裏で存在し、この葛藤が戦後の日本文化の根底には存在すると考えられる。

DCブランドの後に来たアメカジ、ヨーロッパ古着(1990年代)

高度成長を終え、変動為替相場制が導入されたことで円高は一気に進み、日本人は非常に高い購買力を持って海外を探索し始めた。海外旅行が当たり前にできる層が増えて、日本は他国から発見される存在から他国を発見しにいく存在に変わったのだ。憧れであった欧米の文化を買い漁る日本人は謙虚な佇まいをしながらも貪欲に海外文化を国内に持ち込み、90年代のアメカジ、ヨーロッパ古着、スニーカーブームなどにつながる。
スニーカーセレクトショップの先駆けであるアトモスの創業者本明さんも欧米でスニーカーを買い漁り、辺境の地まで駆けずり回ってそれを日本に送り、売り捌いていたという。現在の世界的なスニーカーブームのスタートは日本にある。

経済の停滞と文化の発酵の始まりである裏原宿ブーム(2000年代)

90年代の海外文化受容を経て2000年代の経済停滞の中で、その文化発酵が進む。欧米ファッションの内部化の結果が裏原宿文化だと言える。2000年代のストリートブランドの多くはアメカジをモチーフとしながらも日本的なニュアンスやディテールを加えることで自分たちのものとした。
アベイシングエイプはウォーホルのような現代アートのモチーフとアメカジのディテールを用い人気を博した。また音楽、アートとファッションのコラボレーションという手法も日本の裏原宿文化から生まれた。現在世界的に人気なKawsなどもその中で見出されたのである。
アンダーカバーはダークなファンタジーとパンクのモチーフを融合させることでパリコレに進出した。彼がコレクションを発表し、パリに出ていくことはストリートカルチャーと世界のハイブランドカルチャーの壁を壊そうという試みでもあった。
古着という欧米のカルチャーそのものではなく、そこに自分達の解釈を加えたファッションを確立したのである。これは海外のカルチャーを再解釈し、ミックスするという手法を日本のファッションが発見したということだ。それは日本の雑誌文化とも密接に関わっている。ファッションの情報を独自の視点で「編集」することが日本らしいスタイルを生み出した。

インターネットで発見された日本のファッションとグローバリズムによる再解釈(2010年代)

インターネットの普及により世界の情報にアクセスしやすくなることで、文化の多様性の尊重とともに世界共通のカルチャー形成が進んだ。日本のアニメが世界の若者の共通言語になり、日本のファッションの再解釈も進んだ。
ヴァージルアブローは日本の裏原宿カルチャーに強い薫陶を受けてラグジュアリーストリートというカテゴリーを確立し、その後、ルイヴィトンのクリエイティブディレクターに就任した。ラグジュアリーブランドは日本を中心に始まったコラボレーションの手法をこぞって取り入れ、世界の市場を押さえに行った。
日本アニメのモチーフとのコラボレーションも進み、成長するアジア市場の戦略としてもアジアと欧米カルチャーの橋渡しをする日本のファッションは欧米企業にとっては日本のカルチャーを参照することが良いマーケティング手法になったのだ。
スニーカーのカルチャーも90年代に盛り上がった日本の文脈を再度ナイキが世界に持ち込んだことで国際的な一大市場を形成した。
香港から世界のストリートカルチャーの情報を発信するHypeBeastは日本のファッションシーンをベンチマークし続けている。

世界の日本ファッション評価を踏まえた日本のアーカイブ・Y2Kブーム(2020年代)

2000年代以降の文脈を系譜とする日本のファッションが世界でポピュラーな存在になったことにより、その原点となっている日本ファッションが再評価されているのが現在の日本のアーカイブブームや、Y2Kファッションブームだと考えられる。
海外でもラッパーのトラヴィス・スコットがアンダーカバーの古着を着こなしたりしていることの反射として、その価値が高まっている。
もう一つは国内でも2000年代に学生だった現在の30代から40代が、可処分所得が増え、当時憧れだったストリートブランドを古着で買うことができるといったところもそのブームに薪をくべている。

またダイリク、Jiedaといったブランドが当時のテイストを現代のトレンドのシルエットで表現するといったことは、日本のアメカジの再解釈とも言える。

日本のファッションの今後

ここまでで述べたかったことは、日本のファッションの流行は経済の変化やテクノロジーの変化に大きく影響を受けているとともに歴史的な連続性があると言うことだ。
日本は経済的には1980年代に世界的な絶頂を迎えたが、その後、欧米文化を日本が内部化することで新たなスタイルを生み出し、発酵していった。これがインターネットを介して世界に共有されることで世界的なレベルでのムーブメントに接続していっている。これはアジア経済の拡大とも密接に関わっている。
メンズファッションだけで見れば、国際的な影響力としてはこの2020年代に絶頂を迎えているのかもしれない。世界から参照されるということは既にピークを迎えていると言える。その先には何があるのか。

日本のファッションの独自性は海外の文化を日本のディテールに対するこだわりといった独自の解釈によるところが大きい。つまり日本ローカルのトレンドと世界のトレンドの両方をミックスし、付加価値をつけ続けることが重要である。
ローカルの独自性とグローバルの国際性は相反するように見えるが、グローバルなトレンドはローカルな独自性がインターネットを通じて世界にバズを起こすことで形成されていく。この意味でHypeBeastなどのインターネットファッションメディアの役割は大きい。

村上隆がアートの世界でスーパーフラットの概念を持ち込んだように、ファッションについても同じことが言える。全てのローカルなファッションのムーブメントが相対化され、世界に影響を与える。加えてアーカイブの事例が示すように、今や各時代のトレンドについてもインターネットで相対化され、サンプリングされる。

ファッションの地域性と時代性の両方が相対化される中で、それらをより独自の視点で抽出したものが評価されるということだ。それはDJ的な行為である。ブランド間のコラボレーションは2つの曲を合成するマッシュアップに似ており、過去のデザインの参照はサンプリング、違う形式での再表現はリミックスと似ている。

過去のコレクション等を参照することはコンテクストの連続性から新しいファッションデザインを消費者に理解させることであり、その説得力が高いものほど評価される。

全てが相対化する、フラット化する中で、世界に受け入れられるファッションには、デザイナーの編集力と、文脈に基づくストーリーの説得力がこれまで以上に重要になっているのかもしれない。

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