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未来洞察を単なる思考実験にしないために

未来洞察とは何か

コロナウイルス感染拡大を持ち出すまでもなく、テクノロジーの社会実装スピードは加速、ベンチャーキャピタルの資金投入によってスタートアップが一気に既存産業をディスラプトし、気候変動によって自然災害の問題が深刻になるに従って、不確実性の高い社会にどう対処するかは近年の大きなテーマだ。以前は直線的に変化していくと思われていた社会構造も等比級数的な社会インパクトがいつ、どこで起こるかわからない。その中で未来洞察という分野が注目されている。

未来洞察は、元々はオイルメジャーのシェルという会社が石油市場の不確実性が高い中で、経営戦略を考える上でどのような未来シナリオがあるかを検討するために用いた手法がベースになっている。

この手法は、他の産業でも取り入れられただけでなく、シンガポール政府もこれを政府の政策決定のプロセスの中に取り入れている。シンガポール政府は、首相府の直下にフューチャーストラテジーユニットを設置するとともに、各省庁の下にもそのカウンターパートを置き、今後20年のシナリオとその対応策を検討させている。この部署の人たちは未来洞察だけを仕事として検討し続け、レポートにまとめて政府に報告するのだ。彼らは世界中のシンクタンクや学者、スタートアップと意見を交わし、マクロな視点からミクロの視点まで行き来し、その中で変化の予兆を捉え、シナリオと進めるべき政策案に落とし込む。

シンガポール国立大学のリークワンユースクールには、このフューチャーストラテジーユニットを卒業したメンバーが学校の生徒のみならず、企業のエグゼクティブエデュケーションとしてもその手法を提供している。自分も留学時に学生としてこのワークショップに参加していたことから、どんなことを行うのか解説してみたい。

https://lkyspp.nus.edu.sg/executive-education/detail/futures-masterclass-foresight-to-policy

未来洞察のステップ

まず未来洞察を行うメンバーはなるべく多様なバックグラウンドの方がいい。職業の多様性、ジェンダーの多様性、国籍の多様性を確保できれば、偏ったものの見方に収斂することはない。認知バイアスを排除し、クリエイティブな発想を生み出すためにもメンバーの属性が分散している方が良い。

未来洞察のためにはまずテーマを定義することから始める。何に関する未来が予測したいのかを定義しなければ、漠然とした未来予測だけが出来上がって、そのまま放置されてしまう。あくまで未来洞察とは何かの目的のためのものであることを忘れてはいけない。例えば「30年後の日本の産業構造はどうなっているか」といったテーマ設定だ。時間軸と合わせて明快な問いになっていることが重要である。一方で問い自体はある程度スコープの広いものになっているケースが多い。これは不確実性を予測するのに狭い問いではそれ自体がシナリオの広がりを制約するからだ。

次にこれに予測したい未来に関係するファクトを整理する。ここで使えるフレームワークとしてはSTEEP分析などがある。Sicnce科学,Technology技術,Environment環境,Economy経済,Politics政治といった要素から課題に関係するファクトを整理するのである。ファクト整理には文献の調査、関係者に対するヒアリングのほか、フィールドワークを通じた発見なども含まれる。マクロとミクロの視点両方を行き来することで変化の兆候をより解像度高く見出すことができる。

次に重要なのはそのファクトの発生する確実性と、インパクトの大きさという2つの軸での整理だ。①例えば人口のトレンドなどは特定のタイムフレームではインパクトは大きくても所与の要素として整理できる。また自分たちでコントロール可能な内部環境のファクトや、問いに対してインパクトの小さいファクトも同様である。②一方で起こるタイムラインが不確実かつ起こった場合のインパクトが大きいファクトを特定することが重要であり、これこそが将来のシナリオの分岐をもたらす。例えば技術で言えば量子コンピュータの実用化、VRデバイスの小型化、汎用型ロボットの普及などは社会を一変する可能性があるが、それがいつ訪れるかは定かでない。こういった不確実でインパクトの大きい要素をワイルドカード、決定的な不確実性と呼び、シナリオの分岐をもたらす。要素を整理する際にはファクトをポストイットなどに書いていって、グループメンバーで相談しながら分類していくと良い。

上記のように所与の要素とワイルドカードを整理し、①ワイルドカードが起こらなかった場合をベースラインのシナリオとして、②ワイルドカードが発生した場合のシナリオを整理する。例えば産業セクター間のデータ連携を実現するデジタルプラットフォーマーの登場をワイルドカードとした場合、①産業界において業界単位でのデジタル化がリニアに進むベースラインシナリオでは、引き続き産業セクターごとの業界内競争が継続する一方、②ワイルドカードシナリオでは、産業間の垣根がなくなり、プラットフォーマーを中心としたエコシステム間の競争に変わるといったことが考えられる。(実際中国はそういった様相を呈しはじめているが。)この他にも様々な市場競争のシナリオが考えられるだろう。特に問いに対してインパクトの強い要素から複数のシナリオを創出してみて検証し、起こりうるシナリオに収斂させていく。

シナリオを具体的にイメージできるように、それぞれのシナリオを様々な方法で表現することも重要である。例えば演劇で各シナリオを表現する、シナリオを映像作品にする、レゴでシナリオの状況を作ってみるなど単なる文章よりも人が感覚的にわかる、没入しやすい表現を用いることでよりそのシナリオをリアルに感じることが人の認知を変える上では重要だ。ここまでがいわゆる”未来洞察”になる。

未来洞察を思考実験で終わらせないためには

ここで終わってしまっては、単に何が起こるかの思考実験となってしまう。次のステップとしてはシナリオに対する対応策を検討していく。

例えば自分が自動車会社の経営層だとすれば、プラットフォーマーを中心としたエコシステム間の市場競争が進んだ場合に、自社はそのエコシステムの中でどういった役割を担うのかを整理していく。自社自身がプラットフォーマーになるのか、そのエコシステムの一部の構成主体となるのか、その時の収益モデルはどんなものになりうるのか、といったことを議論しながら対策を考えていく。さらにその際に自分たちが成功していると評価する際のKPIは何かといったことも整理する必要がある。ベースラインシナリオでのKPIが自動車販売台数だったのに対し、エコシステム間競争シナリオでのKPIはサービス利用ユーザー数、一人当たり年間課金額、エコシステム内の提携企業数などになっていくかもしれない。そのシナリオに対応するためにはバックキャストして今から自社の何を、どのように変えていく必要があるのか、経営戦略に反映させ、タイムラインと合わせて自社の戦略の中に落とし込んでいき、一定のリソースを実際にそこに割いていくということが必要になる。ここまでやって初めて未来洞察を行う価値が生まれてくる。

上記のような未来洞察のプロセスは企業にとってだけでなく、政府にとっても重要な考え方である。現在からの延長線でビジョンを描くのではなく、あり得る未来のシナリオを考察し、それに合わせた対応をしていかなければ、いつまでたっても不確実な出来事に対して後手に回ってしまう構造から脱することはできない。例えば災害対応などについても最悪の状況が起こった場合のシナリオプランニングを行い、それに対応する打ち手が事前に整理できていれば、毎度関係者を逐次投入し、非効率な対応を繰り返し、その度に皆が疲弊するといったことは軽減できるはずだ。
だからこそシンガポール政府にもそのような未来予測のユニットが設けられている。日本以上に資源が少ないシンガポールにとっては将来の不確実性に対応できるかが国家の存亡自体に関わるからだ。しかしながらこれはシンガポールに限ったものではなく、日本政府にも必要な視点である。失われた30年がなぜ失われたのかも、政府を含む多くの組織が、現在からの延長でしかものを見てこなかったからではないか。そうした課題に対するアプローチの仕方自体を変化させなければいけない時期にきているのではないか。

ちなみにハーバードビジネスレビューでも未来洞察に関する記事があるので参考にしてもらいたい。


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