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【御堂筋完全歩道化】御堂筋は関一市長の先見の明。「道こそ街の動脈」

大阪の御堂筋はかの名市長、関一の先見の明により作られた大阪の大動脈です。
第7代大阪市長である関一市長は、大阪の経済発展を見越し、当時としては破格の規模の大幹線道路を南北に縦断させました。
さらにその下には地下鉄を走らせるという超ビッグプロジェクトを断行し、それを今も我々が利用しているわけです。

当時は「滑走路でも作るのか」とあまりの規模の道路を作ることに批判の声が大きかったそうですが、今になって思えばとてつもない英断でした。

大阪の経済発展の基盤を作った市長が関一市長であると言って過言ではありません。

現在普通に行政で使われる「都市計画」という語、これは「シティプランニング」という外来語に関一市長が充てる日本語を創作したのだといいます。
日本初の市立大学として大阪商科大学(大阪市立大学→現・大阪公立大学)の設立、大阪城天守閣の再建などの事業もあります。

小学生の時に昭和の名市長、関一氏の話をよく先生が聞かせてくれたのを記憶していますが、大阪市民は先人の思いを今一度思い出さねばなりません。

この御堂筋の偉業については、大阪にのホームページに特設ページが置かれております。

御堂筋の歴史 「道こそ街の動脈」市長の理想としたもの
https://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000239175.html

都市大阪を世間へ。市長の都市大改造計画
 関市長の「都市大改造計画」のメイン事業であった御堂筋の拡幅工事は、当時の常識から言えばありえないほどの大事業でした。拡幅以前の御堂筋は、道幅6メートル、北の淡路町から南の長堀まで約1.3キロメートルの狭く短い道でした。
 その御堂筋を幅44メートル、南北に延びること約4キロメートルの道にするという関市長の考えに、市民は「市長は船場の真ん中に飛行場でもつくる気か」と肝をつぶしたそうです。
しかも100年先を見据えていたという関市長の構想はそれだけに留まらず、道路の下に地下鉄を走らせるものでした。

徹底された綺麗な街並み 電線は地下に、圧迫感のない街並みへ
昭和12年5月11日。御堂筋は困難を乗り越えて開通の日を迎えます。
 実に、着工より11年という長い歳月をかけての完成となりました。開通当初は、市民が「飛行場か?」と笑ったことが本当のようにのどかな風景でした。現在のように自動車が頻繁に行き来する時代ではなかったので、当然といえば当然なのかも知れません。電線を全て地下に配し、イチョウ並木を植えたことも、多くの人に"のどかな道"という印象を与えたようです。
 シンボルとも言えるイチョウ並木は完成時に植えられたもので、淀屋橋南詰から難波までの区間に約800本があります。ちなみに梅田から淀屋橋北詰までにあるのはプラタナス並木です。
全長約4キロメートルの直線道路と開放感のある道幅、そして自然溢れる並木道が、御堂筋を世界でも類をみないほどの美しい道としています。

百尺制限で都市を明確にイメージ
イチョウ並木とともに美しい御堂筋を演出しているのが、規律良く揃ったビルのスカイラインです。
明確な都市イメージを持って建設された御堂筋には、周辺ビルにも制限を設けていました。それが百尺(約30メートル)制限です。これはビルの高さを一律百尺に揃えるというもので、この制限により御堂筋は美しい景観を誇っていたと言えます。また、建物自体にも趣向が凝らされたものが多く、ガスビルや大丸百貨店などからは、当時の建築家たちの熱意が強く感じられます。

御堂筋の景観は文化財!
開通当時から変わらぬ美しさで、現在も御堂筋を彩り続けるイチョウ並木。このイチョウ並木は『大阪市指定名勝』に指定されています。見頃は何と言っても秋で、黄葉するイチョウの葉が御堂筋いっぱいに敷き詰められる光景は名勝に相応しい景色です。
 イチョウ並木と同じく、大阪市の有形文化財に指定されているのが淀屋橋。淀屋橋は『指定景観形成物』の認定も受けており、この淀屋橋より少し北にある大江橋は、淀屋橋とともにデザインを全国より公募したことでも有名です。大江橋も有形文化財の指定を受けており、この二つの橋が水の都大阪のシンボルとして愛されているといっても過言ではありません。

大阪の大動脈となる御堂筋は、上記の通りで機能もさることながら、景観も考えられた、まさに「都市の格」を上げるものでした。

上記ページにあるイチョウ並木も今回の全面歩道化に際し、一部伐採を行っており、心をを痛めております。
景観のためのビルの高さをそろえる規制条例も既に緩和され崩れております。
これらはゼニカネだけの経済目線では「無駄」なものかもしれません。
しかし都市の「格」はそういうところに現れてくるのではないでしょうか。
市民の町への愛着もそういうところを大事にする先に生まれるものではないでしょうか?


上記のページは、御堂筋の「格」を説明するページで、現在の大阪市の施策と矛盾するものですから、いつまで掲載があるか怪しいものですが、ぜひ読んでいただきたいページです。

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