「小学生にでもわかるように」だなんて、僕はあなたをそんなふうに馬鹿にはできない
もしこの言葉が小学生から言われていたり、あるいは広告のように小学生も含めた不特定多数者を対象にしているなら別だが、僕は「小学生にでもわかるように」という免罪符に嫌悪感を覚える。
例えば僕であれば、相手の話がわからなくて噛み砕いて説明してほしいのであれば、
「27の大人にわかるように」、
あるいは
「〇〇の修士レベルの者でもわかるように」
といった枕詞を添えるのがまだフェアな言い分だろう。
もし、相手がこれらを考慮してくれて、それでもなお、自分が理解できないとなれば、その責任の一端は
「27の〇〇の保持者が保有すべき知識や教養を持ち合わせていなかった」自分にある、と帰着できる。思うにこのような話し手と聞き手の公平性が昨今欠落しつつあるように感じる。
「小学生にでもわかるように」はよく聞く文言だが、そこには謙虚さも誠実さも欠けてはいないか。
「自分が理解できないのは、あなたの話し方に問題があり、自分には毛ほどにも落ち度はない。よく頭がいい人は小学生にでもわかるように説明が上手いと言われるから、うんぬんかんぬん、すなわち頭が悪いのはあなた」と一体何か違うだろうか。言い過ぎか。それでも、義務教育を終えたであろうからせめて「中学生」だろう。
サボってはいけない。
「よく頭がいい人は小学生にでもわかるように説明が上手いと言われる」とは、厳密には
「少し込み入ったところはすべて端折って、エッセンスだけを抽出し、説明や論理の飛躍があるところは比喩を用いたり、ストーリーを当てはまりして煙に巻く」が本質だろう。つまり、相手にされていない。なんとなくわかった気にさせて購買意欲を掻き立てる広告ならこれでよい。コメンテーターはこれではよくない。
私は非日本語圏にもう4年も住んでいるが一度も「小学生にもわかるように」とは言われたことも無ければ、聞いたことも、英文で見かけたこともない。
試してみたくもないので憶測ではあるが、もしそんなふうに切り返したら、相手は僕がこれ以上コミュニケーションを続ける意思がないものと受け取り、会話を終了するだろう。おそらく
「なぜ小学生?お前の脳みそはそんなレベルなのか?」って言われる。
わからないのであれば、普通に「わからないので、シンプルな用語で1から説明してくれませんか。私はその分野に詳しくはありません。」と尋ねる。必要以上にへりくだったりしない。向こうも成人した大人を、変に小学生のように扱ったり、「小学生と同等」と想定することさえもしない。
理解してもらえるまで説明するし、理解するまで質問をやめない。
そもそもいつの時代の小学生も、本やネット、YouTubeなどのチャンネルの増加により、その時代の大人が小学生であったときよりも賢いのだから、
小学生に失礼だろう。