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Amazarashiを聞いてわかる実存主義哲学(ショーペンハウアー編)

Amazarashiを聞いてわかる実存主義哲学、ニーチェ編サルトル編の続編ノート。今回取り上げるのはドイツの哲学者、ショーペンハウアーだ。

◆ショーペンハウアーについて

ドイツの哲学者で、カントやインド哲学、仏教の影響を受けた。博士論文で書いた「意思と表象としての世界(The world as Will and Representation)」が評価され、ベルリン大学の講師となるが、同時代に講師だったヘーゲルと比べると全く人気がなかった。世間からも評価されず、孤独の中で培った哲学は、厳しくストイックで、悲観主義者(ペシミスト)の哲学と言われた。仏教の思想と一部相通ずるものがあり、日本での人気は高い。

◆根本思想(意思と表象)

「意思と表象としての世界」で世界は人間の意思と表象であると定義。この言葉はカントの認識論を知らないと理解できない。

カント

カントは、人間は物事を視覚やその他の感覚器官で受け取った事象を、人間特有の方法で処理することで事象を認識すると考えました。人毎に認識(処理した結果)は異なるので、対象から認識が生じるのではなく、「認識に対象が従う」とし、「本当の世界(物自体)には到達できない」と考えた。

一方、ショーペンハウアーの「世界は人間の表象である」というところまではカントの認識論と同じ。ショーペンハウアーはここからさらに一歩踏みこんで、カントが到達できないといった「本当の世界(物自体)」とは何ぞや?ということを、追究し、それは「生きようとする意思」であると結論づけた。
本当の世界(物自体)とは意思のことであり、その意思が表層として現れたものを我々は世界として認識している。そして、意思が表層として現れるには段階があり、この段階をイデアと名付けた(プラトンのイデアとはちょっと違う)。
自然法則(物が落下するのは”落ちたい”という意思)という低次のイデアかもあれば、それより高い次元の動植物のイデアがあり、もっと高いところに人間の理性というイデアがあるとした。そして、芸術・文化にはイデアが宿ると考えた。

◆主張①「人生は苦痛だが、楽しくする術はある」

意思と表象の前提から発展させて、ショーペンハウアーは生きることについて言及した。端的にいうと「生きること=苦痛」である。「生きようとする意思」があれば、何かを達成しようと努力するものであり、達成できなければ「苦痛」を感じ、達成すれば「退屈」を感じる。そのことを「人生は苦悩と退屈の間を行ったり来たりする振り子のようなもの」と例えた。その苦痛をやわらげる方法としては高次のイデアが宿る芸術に親しむことで、苦痛なき喜びを少なくとも一時的に得られるとか、他者も同じように苦痛を感じているので、その苦痛を共有することで愛につながると考えた。

この主張をそのまんま表現しているAmazarashiの歌が「無題」。名もなき絵描きがただひたすら自分のために絵をかいてる風景を描いた曲。絵描きのことを理解してくれる彼女との愛も切ない。芸術とのふれあいや、苦痛を共有する愛をうまく表現している。

歌詞のこの部分がよい!というよりは、この歌詞が紡ぐ世界観が素晴らしいので最初から最後まで聞いてみ欲しい。

◆主張②「人柄は運命には左右されずわれわれから奪うことはできない」

「幸福について」という著書で、人の幸せは
 ①人のあり方(人柄)
 ②人の有するもの(所有物、財産)
 ③その人の与える印象(他人からどうみられているか)
のいずれかに帰着すると主張した。それで、たいていの人は②③(=表象=客観)にとらわれているが、一番大切なのは①「人のあり方(人柄)」(=高次のイデア、意思=主観)であると。「人のあり方(人柄)」は自分だけのものであり、誰からも冒されることなく、人生において普遍的である。「人のあり方(人柄)」は運命には左右されず、われわれから奪うことはできないのだ。

このことをAmazarashiの「古いSF映画」では、人柄を「心」として、それを奪われてはいけないと歌った。めちゃくちゃかっこいい!

僕らが信じる真実は、
誰かの創作かもしれない
僕らが見てるこの世界は
誰かの悪意かもしれない
人が人である理由が
人の中にあるのなら
明け渡してはいけない場所
それを心と呼ぶんでしょ

この曲でSF映画と言ってるのは、映画「ブレードランナー」。ブレードランナーも実存主義の影響を受けているが、そのことについては森正弥さん(昔の同僚)のノートがあるので、参考までにリンクはっておきます。

◆主張③「運命がトランプのカードをシャッフルし、我々が勝負する」

ショーペンハウアーの一番好きな言葉は「運命がトランプのカードをシャッフルし、我々が勝負する」。一人ひとり与えられた境遇は違うが、それを嘆くのか、あきらめるのか、あがくのかは自分次第。自分は何で勝負するか?そこを明らかにして生きてことで「心(=人柄)」は磨かれていくのだと思う。

このことをAmazarashiの「爆弾の作り方」では次のように表現している。

行き場のないイノセンス イノセンス 今に見てろって部屋にこもって
爆弾を一人つくる 僕らの薄弱なアイデンティティ
ひび割れたイノセンス イノセンス こんなじゃないって奮い立って
僕はたたかう つまりそれが 僕らにとって唯一の免罪符

許されない僕らが許されるための手段
傷つきやすい僕らが身をまもるための方法
僕は歌で 君は何で?

僕は歌で 君は何で?

まとめ

今回とりあげたAmazarashiは初期の名作ばかり。なぜ初期の曲を選んだかというと、ショーペンハウアーの思想と共振する悲観的な曲が多かったから。
今ではメジャーになったのでポジティブな曲も多いが、売れるまではショーペンハウアーの本を沢山読んだんだろうな。知らんけど。
ショーペンハウアーも名前といくつかの名言は知っていたが、じっくり読んだのは初めてだったので、よい勉強になった。

バックナンバー

Amazarashiを聞いてわかる実存主義哲学(ニーチェ編)
Amazarashiを聞いてわかる実存主義哲学(サルトル編)


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