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読書メモ「哲学入門」ヤスパース著(後編)

ヤスパース「哲学入門」の読書メモ、7講以降のメモなので、1講-6講までは前編ノートをご覧ください。

第七講「世界」

この世界の仕組みだとか、この世界にある生命・物などは科学により大部分明らかになってきていますが、それらを総括しても世界像とはならず、一つの体系的な知の組織であるにすぎません。

あらゆる世界像は世界から切り離された一断片であって、世界は形象とはなりません。私たちは常に世界のうちに存在し、世界に存在している諸々の対象を所有していますが、世界それ自身はけっして対象とはならない。

では、私たちはどのように世界と向き合えばよいのだろうか。私たち人間に課せられていることは、全体的判断の固定化を排して、人生の時間的過程において生じた事件や運命や自己の行為に、たえず耳を傾けることです。

そのような準備には、「世界に対する神なる絶対的超越者の経験」と「この世における神の言葉の経験」といった二つの経験を含んでいます。

この講は世界の認識の仕方はカントの認識論に基づいているが、向き合い方については四講の「神の思想」が色濃く反映されていますね。

第八講「信仰と啓蒙」

哲学的信仰の根本原理は、
 1.神が存在する
 2.無制約的な欲求が存在する
 3.人間は有限的で未完成である
 4.人間は神の導きによって生きることができる
 5.世界の実在性は神と実存の間にはかない現存在をもつ
であり、この原理は相互に強め合い、交互に成長させあうと定義しています。

それらを否定する無信仰性の主張もあるが、誤った啓蒙により、疑いもなく真理をそのままに承認する盲目性に向けられた結果です。真の啓蒙は「人間が自分自身となる道程として解される」としています。

哲学することはやさしいことではない。だが、正しく哲学することはどういうことか?を理解し、それを目指すことによって生きる力は得られるのではないかというヤスパースの主張には深く共感します。

第九講「人類の歴史」

歴史は私たちに、生活の基礎となっている伝統の内容をもたらし、現在的なものになっている基準を示し、自己が属する時代への無意識的な拘束から解放し、人間をその最高の可能性と、その不滅の創造性において見ることを教えてくれる。

いままでの歴史をたどると、第一段階:言語の発生、道具の発明、火の使用により人類は大きな一歩を踏み出し、第二段階:エジプト・メソポタミア・インダス・中国において古代文化が発生し、第三段階:人類をして今日あらしめている精神的基礎(哲学・宗教)が築かれ、第四段階:科学の進展により新しい精神的・物質的な出来事が発生して、現在にいたっている。

いまの世の中を混沌とみて、歴史は終末の期に到達したとき、ただ混沌だけを後に残すような終末思想を訴える人がいるが、私たちは自分の時代を十分に自覚し、歴史を克服していかなければならない。

真理と交差した歴史を自己のものとすることによって、私は永遠性のうちに錨をおろすのであります。

歴史は自己を啓くために勉強するものであることを痛感。自分の糧となるようしっかり学んでいきたいですね。

第十講「哲学する人間の独立性」

全体的なものは、宗教的信仰として、万人に対して唯一の真理を要求する場合もあれば、国家として、人間的なものを権力的機構の中へと溶解することにより、個人に属するものをいっさい後に残さない場合があるが、個人の独立性は全体的なものが求めるものにより、失われていくように思われる。

個人の独立性を保つには、
 ・真理を唯一絶対のものとみなさないこと
 ・自己の思想の支配者となること
 ・無条件的な交わりにおいて真理と人類性を闘いとること
 ・あらゆる過去のものを学んで自己のものとし、同時代の言に耳を傾け、あらゆる可能性に対して自己を開放することができるように努力すること
が必要となる。

自分が他に惑わされず、自分らしくあるためには「哲学」することが必要なのです。

第十一講「哲学的な生活態度」  

哲学的な生活態度として、あらゆる種類の反省を通じてなされる孤独な思弁と、共同活動・共同討議・お互いの沈黙、などにおいて行われるあらゆる種類の相互理解による人々の交わりが必要となる。

思弁:自己反省として、一日の自分の行動を内省する。哲学的な思想の歩みを手引きとして、自分本来の存在あるいは神性を確認する。(超越的内省)現在何が行われるべきか?ということを内省するなど、日々反省を繰り返すことが、重要な生活態度の一つ。

交わり:内省によって獲得したものは、それだけでは獲得しなかったものと同じ。交わりにおいて実現されないものは、いまだ存在しないものであり、究極において交わりに基礎をもたないものは、十分な根拠をもたない。真理は二人から始まるのです。

この講はヤスパースの実存主義哲学が色濃く出ています。孤独での真理追究を主張したキルケゴールと違い、人との交わりをもって実現されるものが、実践的だと主張してますね。

第十二講「哲学の歴史」

西洋哲学のいままでの流れをギリシア哲学→キリスト教的中世哲学→近世のヨーロッパ哲学→ドイツ観念論の哲学と大きく分類して概観する。
これらの哲学は、それぞれ完成されたものではあるが、一義的にそれに従ってはいけない。課題は、過去の哲学の権威を通じて自分自身で確認することによって、自己自身に帰ることであり、この権威の根源のうちに、自分自身の根源を再発見することです。

偉大な哲学者が遺した書物を読むことも重要ですが、日々の課題に向き合い、「哲学すること」で自分のものにしていくことが大事なんですね。

まとめ

哲学を単なる理論や体系とならぬよう、実践的な学びとするためのヤスパースの真摯な姿勢が示され、「哲学すること」の意義を深く感じ取ることができました。分厚い本ではないですし、興味あれば是非読んでみてください。


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