Amazarashi楽曲「季節は次々死んでいく」を聞いてわかる仏教
私の人生哲学となっているロックバンドAmazarashi。先日、YoutubeのThe First TakeというChannelで「季節は次々死んでいく」が公開されました。
音楽も素晴らしいですが、歌詞はよくよく聞いてみると、仏教哲学が色濃く反映されています。本Noteでは仏教の視点で、「季節は次々死んでいく」を読み解いていきます。
仏教の出発点:一切皆苦
「人生全てが苦しみである(=おもうようにならない)」が仏教の出発点です。思い通りになることを当たり前としていると、思うようにならないことが苦しみとなる。思うようにならないことを当たり前としていると、何事もない日常が特別となる。苦しみであることを認めることから仏教ははじまります。
人生が苦しみであることを、「季節は次々死んでいく」の冒頭では次のように歌っています。
季節は次々死んでいく
絶命の声が風になる
色めく街の酔えない男
月を見上げるのはここじゃ無粋
泥に足もつれる生活に
雨はアルコールの味がした
アパシーな目で 彷徨う町で
挙動不審のイノセント 駅前にて
僕が僕と呼ぶには不確かな
半透明な影が生きてる風だ
雨に歌えば 雲は割れるか
賑やかな夏の乾涸びた命だ
どうにもならなない絶望感満載ですね。こういった絶望感を出発点にどう展開していくか。苦しみを無意味化する仏教の戦略から読み解いていきましょう。
苦しみを無意味化する戦略:諸行無常
すべてのものが移ろいでいき、一定ではないということ。人は老いて、死んでいく存在であるのに、若さや美しさを不変と捉えると苦しくなる。
過ぎ去ってしまった過去に執着せず、まだ訪れない未来への望みに逃避せず、苦しいかもしれないが今を生きていく。
諸行無常であることを悟ることで、苦しみから脱却できるのである。
「季節は次々死んでいく」というタイトル自身、諸行無常そのものだが、歌詞の中で、過去と決別し、苦しいけど今を生きることをこう歌っている。
拝啓 忌まわしき過去に告ぐ 絶縁の詩
最低な日々の 最悪な夢の
残骸を捨てては行けず
ここで息絶えようと
後世 花は咲き君に伝う 変遷の詩
苦悩にまみれて 嘆き悲しみ
それでも途絶えぬ歌に
陽は射さずとも
「忌まわしき過去に告ぐ 絶縁の詩」といい放つ潔さが素晴らしいですね。
仏教がめざす到達点:涅槃寂静
諸行無常であることを悟ると涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)という苦しみのない世界に到達できます。変化していく自分をありのままに受け入れることができると、煩悩がなくなり、苦しみから脱却できます。
「季節は次々死んでいく」は歌いだしで「一切皆苦」の世を表現し、「諸行無常」の世の中であるからして今を生きると宣言する。そして最後に、
季節は次々生き返る
と宣言するのです。これって、涅槃寂静の境地から出てきた言葉だと思いませんか。
まとめ
仏教の観点から読み解いた「季節は次々死んでいく」はいかがでしたか。仏教については、「空」や「縁起」についてまとめたノートがありますし、Amazarashiについては実存主義哲学の観点で読み解いたノートがありますので、興味があればご一読いただけると幸いです。
参考(リンク集)
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