見出し画像

プロゴルファー松尾洋輝はどんな人生を歩んできたのか?(保育園〜小学生編)

こんばんは☺️
写真の左に写っているのはイケメンの弟です^ ^

今日は、僕の24年間を簡単にまとめてみたいと思います。

なぜかというと、この24年間のお陰で今の僕があるので、どんな経験をしたのか、それを少しでも知ってもらえたらなと思ったからです。

でも、長くなるので今日は、高校生くらいまでにしたいと思います。😅🙏

僕は、仙台市で育ちました。

両親が撮っててくれた、保育園の映像が残ってたのですが、最近それを見返すと、
いつも騒がしく、食事中でも落ち着きがない。そして、弟にちょっかいをかけていた、元気すぎるくらいおてんばな姿が映ってました😂

父は、弦楽器を作る職人で、主にヴァイオリン、ビオラ、チェロの製作をしています。
母は元ピアニストと、音楽家系で育ちました。

その影響もあり、小さい頃はヴァイオリンを1年間だけ、外国人の先生に習ってました😂

でも、発表会に出るのが嫌で辞めてしまったのです💦

ちょうど、7歳頃だったと思います。

保育園の年長クラスぐらいから、人前でも元気だった姿がだんだん影を潜めてきたのです。

何故かはわかりませんが、人前で何かをするのがとっても恥ずかしくなってしまい、自分から話をするのも苦手になっていきました。

その状態はその後も続き、中学生までは、
人見知りで、クラスでもとっても静かな存在でした。

それでも、不登校にならずに学校に行けたのには、理由があります。

それは、ゴルフの存在です⛳️

ゴルフは、9歳から、父の影響で始めました。

父は昔からゴルフが大好きで、一緒に練習場に連れてってもらったのがきっかけです。

僕もヴァイオリンを辞めてからは、いろいろ習い事はしましたが、どれも発表会やお祭りなどがあるので、ほとんど半年くらいで辞めてしまってました。

その中で、唯一続いたのが、ゴルフを始める前にやっていた、テニス🎾でした。

テニスは何故か楽しくて、夢中になってました☺️

上達スピードも早くて、小学校5年生なのに、
中学3年生と同じクラスでやっていたことを覚えています。

そんな中、始めたのがゴルフで、
瞬く間にゴルフの魅力に取り憑かれたことを、今でも覚えています。

僕は当時、人と話すのがものすごく苦手で、
大人の人も同級生とも、うまく会話が出来ませんでした。

そんな人見知りな僕にとってゴルフは、
誰かと話す必要もないし、ゴルフボールと向き合って、ただひたすら打つことを繰り返すことができたので、それが性に合っていて、
とても楽しかったのです!!

言ってしまえば、ストレスフリーで自分の世界に集中してできたことが子供ながらに嬉しかったんだと思います☺️

まぁ、上達していたテニスを辞めてゴルフを選んだくらいですからね😂

ゴルフを好きになる理由は、人それぞれあると思いますが、僕はそれが理由です。

ここまで振り返ってみると、
元気な子→おとなしい子→空気みたいな静かな子。という変化が起きています。

そこで、先程の不登校にならずに学校に行けてた理由に繋がるんですが、

僕的に思うのは、学校でもない、家庭でもない、第3の場所で自己表現できてたことが、大きいのではないかと思います。

9歳からゴルフをやってる子も当時はまだ少なかったですし、ゴルフ練習場に行くだけで、目立つので、周りの大人の方も声をかけてくれるんですよね。

今まで知らない大人の方に声をかけられるなんてことしたことなかったけど、ゴルフのお陰でたくさんの大人の方と会話する機会が増えたので、嬉しかったことを覚えています。

なんか、大人の方に初めて認めてもらえた気がして。

今まで認められてなかったわけではないですが、自分で練習して、上達したことに対しての、大人の方の評価が嬉しかったんだと思います!

話を少し戻しますね。

ゴルフは9歳から初めて、
父は、何でもやるからには、一流の人に教えてもらいなさい。というスタンスだったので、
父はスイングに対して一切口出しせず、近くの練習場のレッスンプロのゴルフスクールに通わせてくれました。

お陰様で、基礎はしっかり身につきました。

ただ、やはり僕の責任もあるとは思いますが、コーチともうまくコミュニケーションが取れてなかったのです💦

意見を問われて、自分の意見が言えなくてもじもじしているとすぐ何か言われて丸められたり。

何か言っても、それは違う。とかダメだとか、
とにかく何を言っても否定されてしまって、

なので、余計に話づらくなり、自分の気持ちをさらけだすのが、怖くなっていったのです。

当時の僕の心境です。
『今、コーチが見ている僕は、本当の僕じゃないのに』

コーチ自身は、ほんとにいいコーチで、思いやりも面倒見も教え方も素晴らしいのですが、

唯一、僕とのコミュニケーションのズレが解消できないまま、10年間習ってきたって感じです。

ほんとに何か言うのも怖くて、
母親には言えたのでその不満をぶつけると、
母親はそのことをコーチに伝え、僕は次にコーチに会うたびに怒られてました。

何で、直接言ってこないんだ!って。

直接言えないから困ってるのに、と僕は思ってましたが。

今振り返っても、僕から質問することはあっても、価値観的なことを、何か問われたりしたことは少なかった気がします。

答えのあるものばかりを聞かれて、間違うと、まだ覚えてないのか?また忘れたのか?
の繰り返しで、ほんとに怖くなっちゃって、
なんか学校みたいって思ってしまいました。

とはいえ、そんな環境の中でも、
辞めずに続けられたのは、ゴルフが好きだと言う理由と、小学校6年生の時に起きたある出来事があったからです。

それは、石川遼くんとの出会いです✨

当時、まだ遼くんがプロツアーで優勝する前に、全国大会の試合会場が一緒で、

遼くんのプレーオフを、全国大会で知り合った友達と応援してた事があったのです。

そうそう、僕はなぜか関西の方に住んでる人の友達が多かったのです笑

きっとフレンドリーだったからだと思います。
シャイな僕にもめっちゃ話しかけてくれるので笑

そして、小学生のことから、全国に友達がいたことは、メンタル的にも大きかったかもしれません。

話を戻します。

ツアーで優勝する前から、カッコいい人だなって思ってました。

そして、その次の週くらいにTVに映ってたのです。

それが、アマチュアで史上最年少優勝 
15歳265日!!

という、歴史的な出来事でした。

それを見た瞬間に、先週応援した人だと分かり、めっちゃ嬉しかったことを覚えています。

そして、涙を流しながらのスピーチも素敵でしたね。

そして、遼くんがアマチュア最後の全国大会の時も、僕も同じ会場にいて、遼くんにサインをもらったり、写真を撮ってもらったりしました😂

15歳なのに、大人っぽくて優しくて、
僕なんか、1日で6回くらいサインもらいにいったのですが、いつも丁寧に対応してくれたのです。

そして、もう1つ忘れもしないエピソードが、

それは、男子トイレで手を洗ってる時に、遼くんが後ろから現れ、多分僕も無意識に見ちゃってたんでしょうね笑

今日は調子どうだったの?と優しく声をかけてくれたのです。

見ず知らずの12歳の男の子に、
遼くんから声をかけてくれるなんて、シャイな僕にとってはとてもありがたいことですし、遼くんと話せたなんて、嬉しくてたまりませんでした😂

今の僕に置き換えてもすごい行動だし、
その、暖かい人間性に完全に惚れてしまいました😂

そこからですね、

本気でプロを目指すことを決心したのは。


石川遼くんみたいに、みんなから好かれるプロゴルファーになり、マスターズ優勝するんだ!って。

ここで初めて、明確な目標ができたことが、
レッスンを辞めずに来れた理由です。☺️

余談ですが、
遼くんが16歳でプロ入りしてから、ヨネックスと契約したので、

クラブもウェアも全部遼くんの真似をして、試合に出てました😂

お陰様で、全国大会では、あだ名で、石川遼くんとまで言われるようになりました😂

成績はあまり伴わなかったのですが、
試合でも、諦めずに頑張れたことを覚えています☺️

(中学3年生の僕です)

ちょっとまだ、小学生のとろこまでしか書けてないのですが長くなったので、今日はこの辺りにしておきますね😂

やっぱり、経験を文章にまとめるって難しいですね😂

次回は、中学生から書きたいと思います!

では、また☺️

#ゴルフ #小学生 #生い立ち #夢 #自己紹介 #石川遼 #夢

この記事が参加している募集

#自己紹介

230,124件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?