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豊かな創造を生み出す Creative Perception ~ 「創造的知覚の場」のデザイン|FY20 個人探索テーマ

ミミクリデザインは3月で4期目に突入し、個人的にもジョインしてから3年目を迎えます。
1年目はプレイヤーとして、2年目はプレイングマネージャーとして様々な経験をしてきましたが、3年目は「ミミグリ」として、さらなる可能性を広げていく年にしたいと思っています。


「深化」と「探索」の2つの探求テーマ

今期から、新しい方針として、ミミグリ合わせて10のユニットそれぞれや、そこに所属する個々人が、「深化」と「探索」という2つの方向性でそれぞれ取り組んでいくテーマを定めることになりました。

「深化」と「探索」は、ハーバード大学教授のマイケル・タッシュマンと、スタンフォード大学教授のチャールズ・オライリーによる『両利きの経営』を参考にした考え方で、「深化」は既存の事業をさらに推し進め、より深めていく活動「探索」は新たな方向性を模索し事業や創造の可能性を膨らませていく活動として整理しています。


自分の担う「irori」ユニットについてや、ユニットとしての「深化」と「探索」については改めて紹介しますが、個人としては、

「深化」については、引き続き、意味を中心としたデザインの考え方、そして意味のイノベーションの具体的プロセスについてアプローチしていきたいと考えています。

「探索」テーマでは、Creative Perception(創造的知覚)ということを新たなキーワードに据えてアプローチしていきたいと考えており、今回はその概要について紹介します。


様々な方法論に感じる、デザイナーから見た物足りなさ

大学では10年間、デザイナーとしての具体的なスキルはもちろんのこと、その周辺に存在するプログラミングや電子工作などのスキル、そして創造やその教育活動に関連する様々な方法論について学習と実践を行なってきました。

そしてミミクリデザインで2年間、ワークショップという形で、様々な研究や方法論をバックグラウンドに置きながら、創造の場のデザインに取り組んできました。

しかしながら、純粋にデザイン行為に取り組んでいた時に自分が感じていたワクワク感や心地よい難しさを、ワークショップの場で実現しきれていないような物足りなさを感じていました。

デザインの行為とは、スケッチを何枚も描いたり、プロトタイピングを積み重ねたり、あるいはじっくりと何かを観察したり、感覚に近い素材を集めたり、そんな風に何かをああでもないこうでもないと試行錯誤しながら進むものであり、それ自体が楽しいものなのです。

僕自身も、ちょっと違った絵の描き方や写真の撮り方を試してみたり、電子工作やプログラミングと格闘しながら求めるインタラクションを模索したり、あるいは壁に大きくフレームワークを印刷して見て等身大で向き合ったり、そうした工夫する面白さに没入するなかで、何かを発見したり学んだりしてきたと思っています。

手を動かし、そこで見出した何かから得た発見からまた何かを作り出すことの面白さ、そしてそのための場を自らデザインすることこそが足りていない要素であり、その重要さに着目する必要があると感じました。


Creative Perceptionとの出会い

そんな中で新たな探索テーマを模索している中で、参加者の認知をどう変えるかが重要なのでは?という視点から、Creative Perceptionという言葉に行き着き、検索したところ、須永先生の『創造的知覚の場 − 自分の表現の形成過程に自分の創るものを見いだすこと』という論文と出会いました。

(須永先生は、2月にミミクリデザインにジョインした瀧さんの指導教官でもあります。)

この論文では、「知覚することと創造することとはどのようにかかわり合っているのだろうか」「創造することとは何か、創造はどんなメカニズムとして説明されるのだろうか」という問いに対する考察として、日本認知科学会の掲載誌に2004年に特集として掲載されたものです。

内容は、ドイツの心理学者、ルドルフ・アルンハイムによる『建築形態のダイナミックス』に関する考察に始まり、知覚と行為、表現や創造との関係性や創造の場における知覚の重要性、そしてその場を構築するデザイナーとしての行為について主にまとめられています。端的に言ってしまえば、デザイナーが創造する上で、豊かな知覚は欠かせないものであり、その知覚の場そのものを創造する行為も、デザイナーの欠かせない行為である、ということです。

これらを再構成しながら、探索のテーマについて考えていきます。


アルンハイムの主張する「経験」と、デザイナーの「創造」

まず論文ではアルンハイムが、建築という形や空間は、単にその物理的な構成要素やしつらえだけが規定するものではなく、人間が経験することによって構成されていると主張していることに着目しています。

形とは,人間の視知覚と建築空間のしつらえ(setting)のインタプレイ(interplay)として、時間の中で持続的に経験されると考えるのだ.そして, そのインタプレイとしての経験こそ「空間 space」そのものだとする.

レイアウトされる建築とは、「表現」されたものであり、その中での「インタプレイ」によって「経験される」という概念に着目し、議論の道標としてあげています。

その上で、そうした空間は、建築の構造や形状といった特性が生成する「視覚の力」によって充たされているというアルンハイムの主張を用い、設計者、つまりデザイナーの視点から捉えると、経験される空間としての「視覚の場」を描いていることこそが、創造であると述べています。

デザインにおける形の創造として「視覚の場」に起き得る人々の経験を描くこととは, 〜中略〜 つくりだすものごとそれ自体の表現,それを利用する人々の行為の表現,それら行為に照応するものごとの振る舞いの表現,そしてそこにうまれるインタプレイの表現である.
デザインとはこれら多重の表現をとおして人々がする経験の可能性を幅広く描き,そこから「しつらえ」を実現することに他ならない.


「知覚」と「表現としての行為」に生まれる「創造」

そうした視覚、つまり「知覚」が形成される場とはなにかについて考えていくために、論文では「知覚」と「行為」の関係性に着目していきます。

例えばテレビを見るとき、人は「テレビを見る」とように見る行為をします。一方で、実際にはテレビから放たれた光が目に飛び込み、「見る」という知覚が働いていると捉えることもできます。

顔を向けなければ、あるいは能動的に意識を向けるという「行為」が無ければ「見る」は実現しませんし、当然光が目に「知覚」されなければ、「見る」ことはできません。こうした共存関係を「知覚と行為のカップリング」と呼び、分離されるものでは無いとしています。

知覚と行為のカップリング

この前提に立ったとき、「知覚と創造」もひとつであると言える須永は言及し、「知覚的な創造」「創造的な知覚」というモデルをあげています。

自身の知覚において,そこに創造が存在し,また,創造においても,そこにある知覚が不可分な存在となる.
「知覚的な創造」とは,創造には知覚が不可欠だという主張だ.〜中略〜 もう一方からみる「創造的な知覚」とは,知覚の中に創造(クリエイション)があるという主張だ.私たちは,物語や解釈をつくりながら世界を見ている.そして同時に世界を体験しながら自分の物語を編んでいる.

このように、知覚は創造に支えられており、その知覚によって次第に創造に向かう力が生まれているとしており、デザイナーはその力が十分に発揮されるような知覚の事態を、自ら創り出していると考えることができるのではないかという点に着目しています。


「創造的知覚の場」を創造するデザイナー

冒頭で述べたように、デザイナーは様々な活動を通してデザイン行為を行なっていますが、この論文でも、そうした行為のあり方に目を向けています。

スケッチを膨大に描く行為は、直接素晴らしいデザインを一発で描き出そうとしている行為ではありません。様々な角度から試行錯誤を重ね、そこで得た気づきを積み重ねることによって、新しい形の可能性を見出していく行為です。

こうした関係性を、「膨大な量の表現によって多様な知覚の場をつくりだし,そこに生じる知覚に「創造的なもの」が見える瞬間を,自ら生成している」と須永は記述しています。

そうした「表現」によって既存に見えているものでは知覚できなかった、新たな未知の対象を現出させ、そこに生まれる知覚の中に、気づきや発見といった創造の源を得ている。

デザイナーは常にそうした「表現」と「知覚」を繰り返す「創造的知覚」によって発想しており、そうした「創造的知覚の場」をデザインする行為こそ、デザイナーならではの行為ととることもできます。

デザイナーが生み出す「創造的知覚の場」


「創造的知覚」が連鎖する場のデザインの可能性

論文では、こうした「創造的知覚の場」は複数人が共同する場でも生まれていることに言及しており、個人で行う表現より多くの多様な「創造的知覚の場」が協同的に構築されることに言及しています。

つまり場に参加した人同士が、それぞれの表現から知覚し触発されながら、新しい気づきや発見を得て、それによって生まれた表現によって、さらに別の人に新たな知覚が生まれるという連鎖的かつ循環的な構造です。

こうした関係性こそが、方法論だけで語られてしまいがちな創造の場のあり方に欠けているのでは無いでしょうか?

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ミミクリデザインのワークショップは、学習環境デザイン論の考え方をベースにしながら、いかに個人の創造的衝動を引き出し、そこに生まれる対話によって新たな意味を生み出すか、という軸を持っています。

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そこで重要なのは、ひとりひとりが能動的に語りだしたり創り出したりするような場のあり方であり、そうした「創造的知覚」をいかに実現するか、そしてその連鎖をいかに引き出せるかが鍵を握ってきます。

そもそも知覚や表現は、全ての人が可能な行為です。

誰しも豊かに知覚し、自己を起点とした表現が生まれ、そこに新たな知覚が連鎖的に生じ、新しい学びと創造を生み出していく。

ワークショップに留まらず、そうした場を社会に増やしていくことこそが創造性の土壌を耕すことに寄与するのではないかと考えています。

2020年は原点に立ち返り、デザイナーはどのように「創造的知覚の場」を生み出しているのか、そしていかに「創造的知覚の場」をデザインしていけるかということを切り口に、Creative Perceptionというキーワードを探索の大テーマに掲げ、取り組んでいこうと考えています。

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先日の全体会で、各個人やユニットの探索テーマが発表されましたが、他にも魅力的な探索テーマが溢れています!(おそらく他の人も記事を書いてくれるはず)

ぜひ4期目のミミクリデザイン、そして新たに生まれるドングリさんとの「ミミグリ」としてのコラボレーションにご期待ください!


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