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「好き」っていう気持ち

好きっていう気持ち

何か好きなものがあってさ

その好きっていう気持ちに殉じて

どこまでも突っ走っていける

そんな風にして自分も生きていけるはずだと

そうおもっていたけど

どうやら僕は違うみたいだということに気づいたのはパティシエをやめた後だった

あれだけ好きだった料理やケーキへの情熱も

サーっと自分の心から引いていって

好きっていう気持ちは案外脆いものだと知った

いや好きなんだよ、料理もケーキも

でも、なんかちょっと足りないのだ

だから、この「好き」っていう気持ち

本当によくわからなかった

でも自分の経験から当時何となく思っていたのは

まず好きっていう気持ちにはベクトルがあって、

その好きっていう気持ちがどこに向いているのかっていうことが重要なんだと

例えば料理を一つとっても

「料理自体が好き」→料理にベクトルが向いてる

「料理を通して人を喜ばせるのが好き」→人にベクトルが向いてる

「作った料理を食べるのが好き」→自分にベクトルが向いてる

等など、多様なベクトルの方向がある

それでね、俺料理が好きだった

だから料理にはベクトルが向いてた

それから料理を通して人を喜ばせるのが好き

これも当てはまっていると思った

そしてそして作った料理を食べるのも好き

これも当てはまってた

だから全部のベクトルをクリアしているじゃん!

そう思ったんだけど、一番大事なことに気が付いていなかった

「それ、趣味でいいよね?」

そう。料理が好きで、食べるのも好きで、人を喜ばせることも好き

それってたとえば家族や友人、恋人に料理を振舞うことでも十分に感じられることなんだよね

趣味の世界で十分補えると

そうなると

「趣味で出来ることをなぜ仕事にするの?」って

そこなんだよね

そこに対する問いが自分の中で消化できていなかった

そんな理屈どうでもいいと思ってた

人間はそんな合理的なモノじゃねえって思ってた

そんな理屈など不要でさ、好きっていう気持ちだけで突っ走れると

そう思ってた

でもケーキ屋で挫折して知ったんだ

俺は「好き」っていう気持ちだけでは走り続けられない人間だと

「好き」じゃなきゃダメだけど

「好き」だけでもダメなんだと

だから本当に心の底から思い悩んだ

そしてまず思ったのは、俺「好き」っていう気持ちが弱いんだなって

「好き」から「大好き」に至っていないんだなって

だから脆いんだって

でね、そうなると何か「大好き」をもっている人がすごく羨ましくなって

俺もそんな風になりたいって思って

思わずいてもたってもいられなくなって

何となくソムリエの人が浮かんだんだ

「あふれ出るばかりの好きを仕事にしている人=ソムリエ!」って(笑)

でね、そのイメージが脳裏をよぎったその日に都内のワインバーへ向かった

カウンターの向こうにいるのは絵に描いたようなソムリエさんで

様々なワインの特徴を情熱たっぷりに教えてくれて

もうなんかキラキラしてて眩しくて

「ああ・・・なんかやっぱりすごいや・・・」って

「俺はどうしてこうなれないんだろう・・・」って

すごく自己嫌悪に苛まれながら

しこたま飲んだよね、浴びるほど飲んだよね

それくらい飲めばさ

目の前のソムリエの方が情熱たっぷりに語るワインの良さがもっと分かるかもって

そして

「好き」という気持ちから「大好き」という気持ちに至るまでの

きっかけみたいなものを何かつかめるかもしれないと

藁にもすがる思いで、半分やけくそみたいな気持ちでその日はしこたま飲んで

翌朝見事に二日酔いのグロッキー状態になって悟った・・・

やっぱり俺にはワインは無理だと・・・(笑)

もうこれは神のお告げ

お前にワインは無理だと・・・

そしてそれ以上にわからなくなったこと、それは

「好き」からもう一段発展して「大好き」に至るには何が足りないんだろう

ということ

多分「好き」だけじゃダメなんだ

「好き」でなきゃダメだけど

「好き」だけでもダメ

そして「好き」から「大好き」に至るのも中々難しい

そうなると、もう万事休す

俺はもう何にもなれないかもしれない

そう思いさまよう日々は続いた

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